さまざまな面で学び。
当月は、上旬に元アイトワ塾生だった伴さんの来訪をえたし、月末には知友に誘われて映画鑑賞に出かけるなどしており、いずれもありがたい機会であった。
伴さんは、「決して(私が)手を出さないはず…」と見た著者署名入りの2冊の本を持参し、「読んどいてください」との贈物。オカゲで、未知の社会状況の一面を知った。
その後、知範さんの来訪をえて、当月記の様式を2つの面で改めることにした。それがより楽しい作業にしつつある。1つは、知範さんの提案をヒントに、詳細説明の改善。これは加勢人(びと)に、「そういうことであったのか」と、当日「携わった作業」の意義や位置づけをより分かり易くする工夫。2つ目は、ネットに乗せた後でも推敲し、その場合は、推敲跡を残す工夫。これは、後日読み返したときのためだけでなく、加勢人との認識の共有度をより高めあうため。
こうした工夫を私はオツムの体操に供してボケ防止と自己制御の1つの策としたい。なんとしても、加勢人には、AIロボット時代の到来に備え、最も確かな貯蓄の何たるかに気付き、幸せになってもらいたい。そのモデルになりたい。
下旬に、知友から「決して(私は)出かけないはず…」との映画が紹介されただけでなく、「私は感激したので、もう1度出かける」が、付き合ってみてはいかが、との提案があった。この知友とは、不思議な関係を保ってきた。その第1の特色は、これまでのところ、最も数多くの旅行に一緒に出かけた仲だ。スリランカの旅、トスカーナの旅、雲南省少数民族を訪ねる旅など、海外旅行を数え上げるだけで楽しくなる。もちろんわが家に幾度も訪ねてもらったし,その「故郷にも…」と誘われ、妻と出掛けもした。
その訳の1つは、一時期知友は家庭問題で悩んでいた。その後、彼は新たな迷いに苦しみかけたり、健康を害したりした、と深刻な事態にも陥った。近年、何年振りかで「ヤット動けるようになった」と言って、訪れてもらえ、旧交を改めた。そして、この度の電話での誘いとなった次第。その誘いは、間違いなく私が独りでなら「出かけたくなるはずがない映画」だった。それにもまして、彼が出掛けたことも意外だったし、「もう1度」とは「どうしてまた」と不思議に思われた。
結果は、出掛けてヨカッタ。互いに夫婦連れででかけることになったことがヨカッタ。
まず「モリさんも一緒なら、私も…」と奥さんに言ってもらえたらしい。そして、モリさんも「奥さんを…」と誘われた。「この時期は、まず期待薄です」と返事したが、妻も参加となり、ならば「私が運転して…」と奥さんに言ってもらえた。おかげで、「ボヘミアン」をIMAXで観ることができた。
「みんな孤独なんだ
工業社会は、孤独にするんだ
みんな孤独の誘惑に、勝っているつもりで負けるんだ
負けて、消費者になり、挙句の果ては自分が消費される
うすうすみんなそうと気づいている。だがただの「ヒト」に留められ
「人」を見失いながら酔ってしまう
お金、容姿、モノなど目に見えるものか
便利とか早いなど「楽ちん」に惑わされ
近視眼にされてしまう
未来が微笑みかける生き方が大事なのに
今という一瞬の連続に囚われて、浮足立ち、死が怖くなる
怖くなりながら、皆で緩慢なる自殺行為に走ってしまう
「ヒト」の謳歌が「人」らしいと錯覚し、
本当に愛しあうべき人も見えなくなってしまう
自殺行為のような生き方に生き生きと走ってしまう