「粘菌(ネンキン)の話」を切り出すと、多くの人は「将来の年金」を思い浮かべることと思います。僕は逆に、人が「将来の粘菌」の話をしていると、すぐに「生命体の粘菌」を思い浮かべてしまいます。
もらえるかどうか分からない、期待しても仕方がない?「年金」のことよりも、目の前にある小さな宇宙、「粘菌」の方がよっぽど心惹かれる関心ごとなのです。
粘菌は、地球上で最初に生まれた単細胞生物の一つに分類され、核を持ったアメーバ状の単細胞生物です。単細胞生物でありながら自律的に行動し、栄養となるエサを捕食し成長を続けます。
驚くことに、捕食する栄養分が無くなったり、生息する環境が悪化して生命の危機を感じると、アメーバ状態からキノコ状態の「子実体」へと変化します。子実体から胞子を飛ばして繁殖を試みるのですが、餌のある場所、適度に湿気のある環境の良い場所に行き着くまで、胞子は何年でもそのままの姿で生き永らえることができます。そして、胞子から発芽して生まれてくるのはアメーバ状態の「変形体」なのです。
このように、動物的な性質(移動してエサを捕食)と植物的な性質(胞子を飛ばして繁殖)を持ち合わせた珍しい生命体が粘菌です。近年では、細かく分類されるようになり、「変形菌(真性粘菌)」と呼ばれるようになりました。身近な市街地の雑木林などにも生息しているのですが、よく探さないとなかなか見つけることができません。
粘菌に関して有名な研究があります。迷路の出口にエサを置き、入り口にアメーバ状態の粘菌を放つと最短ルートを導き出す、というものです。こういった実験結果から「頭脳を持たない天才」や「粘菌コンピュータ」と呼ばれるようになり、様々な研究が重ねられています。
観察しやすい梅雨時期、自然の中を散策する際には目を凝らして歩きます。おかげさまで、7月には方々で観察する機会に恵まれました。
アイトワの囲炉裏場で、剪定クズの整理作業をしている際、枯れ葉と枯れ枝に付いている粘菌を見つけ、持ち帰らせていただくことに。
ルーペで覗いてみると、虹色に輝く部分があり、愛らしく美しい。
「ジクホコリ」という種類の粘菌です。
標本として保存しつつ、丁寧に子実体を取り出し、プレパラートに移して顕微鏡で覗いてみます。
200倍で見ると、虹色に輝いている部分の構造がよく分かります。
※焦点を合わせるために動かしており、実際に粘菌が動いているわけではありません
今月、同行させていただいた長野方面への旅行中、立ち寄った郡上で水船を見学した際には、アメーバからキノコ状態へと変化している最中の粘菌と出会いました。
ゼラチン状の部分は触るとネバネバしており、キノコ状態の部分に触れると胞子がフワッと飛び出します。これは「ツノホコリ」という種類。
こちらも持ち帰って顕微鏡で覗いてみました。
ゼラチン状の部分はこんな風になっています。細かい毛のようなものがたくさんあり、核のような黄色い部分が確認できました。
キノコ状態の部分は結晶のようになっており、ミクロ世界の神秘を感じさせられます。
「飛び出した胞子からアメーバが生まれてきてくれないかな」と期待し、湿らせたキッチンペーパーを入れたケースに移し、エサとなるオートミールを置いて観察してみました。
結果、残念ながら変化は見受けられなかったのですが、後日、モジホコリという実験によく使われる種類の変形体を入手することができました。
観察をしていると、1時間に1cm程度動き、分裂したり集まったり、別の場所へ移動したり、飽きずに観察することができます。
採取した粘菌は標本として大切に保管、観察。新しく見つけるたびに採取し、今も少しずつ種類が増え続けています。
植物と動物を行き来するその性質は、脳を持たない天才と言われる「粘菌の生きる智恵」なのではないか、と思えてなりません。
都会と田舎、デジタルとアナログ、科学と自然、文明と文化・・・、相反する二つの事柄を超えて、人間が人間らしさを保ちながら創造的な生き方をしていく。森孝之先生から、日々学ばせていただいている実践哲学に通じるところがあます。
調和共存し、他と共栄していく道こそ、自然の摂理に沿った生き方であり、粘菌は人が見習うべき一つの「あり方」を示してくれているのではないでしょうか。
粘菌研究は科学の分野において、文明の発展にばかり注目されているのですが、人類のあり方を見出すための研究にできればと思っています。人間が便利な生活を送るためのテクノロジーとして研究するのではなく、大昔から現在に至るまで存在し続ける生命活動から、人間が学ぶべき「生き方」のヒントがあると直感しています。
そんな理由から、粘菌にはとても心惹かれ、夢中になっており、本記事を掲載させていただくことにもなりました。
自然計画に寄稿する機会を与えてくださり、感謝いたします。
また、拙い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
下村知範