疑問「?!?」。その症状はこの薬とは関係がありません、との対応で、問答無しで服用し続けることになった。私ならこのような対応はしない。
コロナ騒ぎの今は、医療界にとっても1つの「好機」として活かすべき時と思われるだけに看過したくなかった。当の現場は火の車だろうが、それだけに上層部や巻き込まれていない他の分野などは、医療界全体のことを考えて、しかるべき動きをすべきだ。
不整脈をなくすクスリを服用させた医師には、「この症状は『この薬の副作用』ではありません」と言い切ってほしかった。そして、私の知るところでは加齢性疾患と考えられます」などと推定される原因をあげ、「詳しくは眼科の先生にお聞きください」とつないでほしかった。その上で、「ところでこの薬、服用し続けるか、いったん中断し、不整脈再発の様子をみるか。いずれを選択されますか」と問いかけてもらいたかった。
あるいは「この症状は、現状の医学会が『この薬の副作用』とするリストの中には入っていません。ただし、私には(この薬の)副作用ではないと断言できませんので、この症状の薬との因果関係の有無を明らかにするために、医学界としてデーター集積するように働きかけます。そのために、今しばらく服用し続けてくれませんか。あるいは一旦中断し、不整脈の出方と相談しましょうか」などと持ち掛けてほしかった。
そして、医学会が動かなければ、私的研究対象として心にとめておき、せめて医師仲間に呼びかけてでも、データー集積を始めようとの気持ちになってほしかった。
そもそも、病は「気」からと言われる。その「気」を静めるのが医師の役目ではないか。もちろんそれは、そう簡単な話ではなく、その「気」と「加療のあり方」との組み合わせが一筋縄ではいかないことぐらいは患者にもわかる。
とはいえ、本来の加療のあるべき姿は、歴史的にも「弊害がない」と断言できない薬剤や、依存症にしかねない補助具などを用いる場合は、それらから如何に早く解放するか、に傾注するのが責務だろう。そしてそれが、医学界繁栄の決め手だ、と私には思われる。要は、保健医療制度に従っている以上は、これが医療界の繁栄の決め手になるような加療システムを敷かなければ、いずれコスト倒れになってパンクすることが目に見えている。
患者を、いかに早く薬や補助具から解放し、現役に戻らせ、生産や創造の活動につかせるか、が大切で、それが本人の為にも大事だろう。さもなければ、医療への信頼感を減じさせ、「気」の多様性どころの騒ぎではなくなってしまいそうで心配だ。
次いで「気」の問題。「とにかく命を長らえたい」との「気」で頭が一杯という人もあることだろう。その心境は、私にも分かる、「拡張性心筋症」と診断され、即「入院」となった瞬間が思い出される。とにかく安静にして、一刻も早く「この症状から脱したい」と思ったから、そのまま「入院」となった。他のことを考えるゆとりがなかった。だが、私の場合は、2つの幸いが重なったおかげで、今の生き方につながっている。
あるいは当初から「命を長らえる」よりも、「余命を知りたい」との「気」になる人もいるに違いない。まず、頭に「思い残すことがないようにしたい」との考えが浮かび、余命を問う。私にはそのゆとりがなかったが、余命を問い、身辺整理に要する日限と余命をテンビンにかけて判断したくなる人も知るはずだ。だから、加療せずとも「それだけの余命があれば」となるか、「劇薬を用いでも、余命を延ばし、身辺整理をしたい」となるか、などになりそうだ。
この中間や、外側にも様々な「気」があることだろう。その「気」をいかに安らかにして「人生をまっとうさせるか」、それが医師の使命ではないか。そのように導くために「ヤマイ」を好機と捉えるのが医師ではないか、と思う。コロナ騒ぎの最中ゆえに、つくづくそう思う。世直しの絶好のチャンスではないか
ちなみに、私の2つの幸いとは何か。それはまず「途上にあった2つの作業」があったことにその夜の内に思い出せたこと。そして、その作業をかなえるための助力をすぐに申し出てもらえた人があったことだ。
当時、執筆中だった一著が仕上げの段階にはいっていたし、週記『自然計画』をネットに載せる作業のために、入院後すぐにわが家を訪ねてもらえる人があった。だから、わが家を訪ね、事情の呑み込んだアイトワ塾生の後藤佐次郎さんに、その足で見舞いに駈けつけてもらえた。週記の原稿は出来ていたから、通常通りに載せてもらった。
彼は、私の症状を見てとり、ノートパソコンを持参し、置いて帰った。私は主治医の許可を取り、ベッドで、「この一書だけは仕上げたい」との気分になった。もちろん、週記も切らしたくなかった。だから、「生きた証として、これだけは果たしたい」との心境も分かりそうな気がする。
それを果たすまでの意識と、それなりの体力の維持を願い、劇薬であれ用いて願いを成し遂げ、燃え尽き、さばさばとした気分で息を引き取りたい、との気分もわかる。
こうした個人的な願いでだけではなく、誠実な人が「このカラダ、他の人の役に立つのなら、何なりと活かしてください」との「気」になる人もいることだろう。
「気」と言えば、人の「気」はいい加減なものだ、と気付かされた思い出もある。30余年前に、激痛にさいなまれ、唇を動かすことさえ更なる激痛の原因になった体験である。殺してほしいとひたすら願っている。戦場などでは、最後の声を振り絞ってそう叫んだ兵士もいた事だろう、と思った。私の場合は、即死の手段が望めず、声にさえしなかったが、そう願っていた。だから、話せる状態になった時に、まず妻に「ピストル保持」が合法化されている国を羨み、「サイン」を決めておき、「殺してもらえる」ことを願ったぐらいの激痛だった、と妻に伝えている。
だが、今やその時の激痛など連想も想像もできず、言葉にしておいてヨカッタと思っている。さもなければ、「その時の殺してくれ」との覚悟や決意、あるいは「気」にさせた激痛を到底推し量れない。それほどの激痛であった、と思えばこそ、酷い目に合わせた人への感謝の念を今更ながらに心にかみ締められる。
それは妻に、会社に電話で「早朝会議」に出られなくなったことを知らせさせたが、飛んで来た部下と妻が、無理やり私を車に乗せ病院に運び込んだが、その激痛を伴った行いだ。それは言いようがない激痛の連続だったが耐えた。
結局、モルヒネを投与されただけで原因はわからず、痛みが収まり、2日ほどで正常に戻った。その時に妻に、「ピストル」の一件を言葉にしている。
当時、隣の席に、役員だった人の息子を預かっていた。その同年配の男が、その後、私と同じような症状を会社で見せた。躊躇なく、救急車を呼んだ。一旦は原因不明のまま退院し、旧に復したが、1カ月もせぬうちに死んだ。同じ症状を示していたことを家族から後日聞いたが、その時に、会社で生じた時に、毛布でも被せ、楽しくなる話を語りかけながら、息を引き取る道を選べていたら、と思わぬでもなかった。余計な激痛を体験させずすんだのに、都思うほど私の場合は激痛だった。にもかかわらず、今は生きていたヨカッタと思っている。
それはともかく、近代医療は日進月歩の科学に頼っているわけだから、治療は「今」の業界の可能性と、医師自身の「誠実さ」に加え、患者や家族などの「気」との掛け算として捉え直し、患者の「気」をいかに安らかにするか、に努められるようにするが肝心だと思う。
それがためには民度を高めなければならないわけだが、しかも今はコロナ騒ぎの最中で、その好機として活かすべきだと思うだけに、この思いを文字にしておきたかった。とりわけ、政府がGo toキャンペーンなどで、その逆行、民度を下げる方向に走っているので、記しておきたかった。
ちなみに、私の目の症状は、左の目が縦の直線をゆがんで見てしまうことだ。そして、両眼で縦の直線を見つめると、真っすぐに見える。だが、急に左目に手をかざすと、右目が左目のゆがみを補正していたかのように、逆にゆがんで見ていたことに気付く。とはいえ、この補正(?)のゆがみはすぐに戻る。