「イモ」のエピソード。「幸島のサルに文化の起源」で検索すれば、話しの半分は理解できそうに私は見ている。その概要と「文化」たるもの、そしてこの「文化」の重要な3つ側面(「起源」、「伝播」、そして「変容」)は理解できる。
だが、残る半分に触れられていないように思う。なぜならこの残る半分にこそ、私は価値を見出し、オスの一員として人生を見つめ直す材料にしてきた。なぜなら、幸島でのイモ洗いは、今ではすべてのサルに行き渡っているが、その始まりの時点では奇妙な現象が認められていた。そして私は、むしろこの現象にこそ注目したからだ。
1歳半のイモから始まったイモ洗いは仲間に順に伝播していったが、それはオスの成獣までの話であった点だ。オスの成獣は、ついにイモ洗いをせずに死んでいった、と。「今はボスざるも洗っているが」との質問に対して、未成獣の時から洗い始めたオスは、成獣になってもイモを洗って食べ続けている、とのエピソードがあった。
もちろんこれは、時のオスの成獣でみられた例外的現象であったのかもしれない。オスも個体差があって、場合によっては洗っていたかもしれないなど、議論の余地がある。とはいえ、人間の雌雄を観察してきた経験を加味すれば、オスの一員(頭がカタイ私)として他山の石にすべき現象と私は見て、勝手に反省材料にしてきた。
もちろん、是非や善悪などの問題とは思わないが、オスが陥り勝ちになる宿命のようなものと見て、私は心を戒めてきた。と同時に、この宿命に甘んじたがっていると見たオスには、無理強いするような意見など慎むようになった。