嬉しい知らせ。山中貞夫(映画)監督の、戦争に翻弄された生涯をつぶさに知ることができた。過日、80周忌に参加したが、その折の記念写真 a に添えられた資料(日経の記事他)のおかげで、私が生まれた年の時代背景を知り得たような気分になった。
アメリカ永住の皆川さんを(過日友人連れで)迎えたが、その折の友人の写真 b が添えられていた。その人は、アメリカ人にしては無表情だし、不愛想だったが、それはご本人も自覚しているとか。だから、私たち夫婦にも「こんなに嬉しかった」ということを知らせたくて、自撮り写真を皆川さんに届けたという。
中国旅行について行ってもらった陽平さんから、その父親を偲ぶ知らせ(証拠)が届き、意外な事実を知った。当時、父親は「息子が『これはバイブルじゃ』と言ってうるさいので』と語り、来訪理由にされた。だから私は陽平さんが先に『「想い」を売る会社』を読んだもの、と理解していた。だが、逆であったのかもしれない。間違いなく拙著『このままでいいんですか』は、父親が先に読み、息子の机の上に「メモ書き」を添えて c 置いたことが確かになった。
旅行中に、陽平さんは「ボクはグウタラだったから」と語りはじめ、父に「このままでいいんですか」と問いかけられた、とつないだ。私はその父親にもらった「暑中見舞い」 d を後生大事に取り置き、時々在りし日を偲んでいたこともあって、息子を思う父を見たような気分になり、無性に胸が熱くなった。とはいえ、いずれが先か後かの問題では、まだ、なぞは残る。ちなみに、陽平さんはメールで「見えにくいですが 鉛筆で(父が)そうめんうまかった と書いてあるところで 笑ってしまいました」とあった。