反省。1本の原稿に「これほど集中したのは初めて」。もっとも昨年11月に作成した「中国東北3省歴史の旅」の報告書にはもっと時間をかけたが、何かが大きく違う。共通点は「反省の念」と「責任の念」だが、この共通点のありようには大きな違いがあった。それはまず反省する立場であり、個人的反省か、国民の1人としての自覚か、の違い。あるいは責任を意識する対象の違いもあり、その陰陽あるいは深度などに想いを馳せた。
このたびの集中は、「納期が短かったこと」がキッカケだったが、記し始めて初めて気づかされたことがあった。さらに上下2回連載になったオカゲで、わが人生にとって「とても大事な時期を見つめ直す機会」になった。誰しも体験するはずの「人生のエポック」のごとき大事な時期だったが、これまでに「このように掘り下げて来なかった」ことをまず反省。おかげでその後、次々と反省度合いを深め、意義ある年末年始になった。
まず、1人の恩人を強烈に意識するところとなった。それは同時に「この恩知らず」とわが身を恥じる日々になったわけだ。オカゲで「待てよ」との想いがこみあげ、さらに「六人の目の恩人」としてこれまで数えてこなかった訳も見え始めた。
実はこれまでに私は「五人の恩人」を振り返ったことがあった。それは、短大に勤めた晩期のことで、大勢の女子学生に改めて挨拶する必要性が生じた時のことだ。講義を通して触れ合っていた200人余に加え、新な立場で2000人近い学生に抱負を語る必要に迫られ、思案の挙句に思いついた自己紹介の一環として「五人の恩人」も取り上げたことがある。その五人は、大勢の恩人の中から選んだ5人だが、いずれも二十歳までに出会った人たちであった。だからこのたび強烈に恩人として意識した人(は社会人になってから出会った人であり)には思い至っていなかったのだろう。だが、他にも何かが大きく違うように思われた。
幸いなことに、こうした想いに駆られ始めたときに妻が側を通りかかった。そして、事情を知った妻が、ポツリと吐いた一言がある。オカゲで、目の前がサッと晴れたが、その瞬間、再び妻が「青木さんは今、どうしていらっしゃるのですか」と問いかけた。
「わからない」と即座に応えたが、「そうだったんだ」と再び閃くものがあった。その刹那にまた妻が、次の言葉を発し、これがトドメになった。
「亡くなられたことを認めたくないのでしょう」
「そうだったんだ」と気付かされ、反省し、それだけで終わらず、「あの時も逃げたンだ」と古傷のような思い出をよみがえらせ、合点し、胸をなでおろした。
不義理このうえない、と自覚しながら線香の1本もあげずじまいになっている人が多々ある。「五人の恩人」には共通していることだが、とりわけその内の1人の大内義男さんだ。その余りにも早すぎる死の知らせに接した時は、なぜか駆けつけたくならなかった。その後、東京出張の折に、しばしばお宅があった最寄りの杉並の駅まで行きながら、ついに下車せずじまいになっていた。