「三が日」を屋内でズーッと過ごした正月は「初めて」のはず。訳は簡単、ある原稿に追われ、妻に幾度も「よく続きますね」と注意され、最後は「大丈夫ですか」と心配される始末。おかげでボケ対策になっただけでなく、反省することもシキリでした。
もちろんこの前後に、多々トピックスに恵まれました。年末は、まず27日。ドバイの佳菜子ちゃんに訪ねてもらえ、一緒に庭仕事。午後から未来さんも参加。午後2時に佳菜子さんを見送った後は夕刻まで2人で石畳道の養生。28日は賀状の仕上げと献本作業。29日はこの冬初の雪で明け、その後雨になり、屋内で大工仕事の仕納め。そして恒例の30日。厚い氷と霜柱で明け、注連縄づくりと餅づくり。昨年同様、ご一緒する一家に恵まれ、庭掃除にも弾みがつきました。大晦日はエンジンブロアーで庭仕事の仕納め。
三が日は、元旦の祝いの後、PCにかじりついたわけですが、元日には2つのインターバルに恵まれています。午後に妻が「初めてヨ」と喜んだ髪結いの一時。夜は1年最初の夕餉に冨美男さんを招いたことです。2日は遠来の一家と旧交を温めました。他に、年末年始の来客との歓談や、今年のお節料理について妻と交わした話題も忘れ難い。
庭仕事には、なんと七草粥まで出ずじまい。事情があってまたPCにほぼ釘付けで、これは間違いなく新記録。この間のトピックスは、4日の来客。5日の贈物。6日の妻の朝寝坊と和菓子。そして7日は2件。新春2度目の朝のコーヒーと、初めて昼に食した七草粥。この後で、やおら遅れ気味の剪定から初の庭仕事に手を付けた次第です。
8日は午前に心臓の定期検診。午後は宙八さんと和服姿の劉穎さんに次いで岡田さんがと、バトンリレーのごとき来訪。そして9日。後藤さんの、次いで教え子の吉報、午後に四国の小夜子さんを迎え、フグちりを堪能。これが昨年末から1年最初の旬でした。
中旬は、不気味な朝焼けで明け、新年初来訪の佛教大生二人の大活躍で終わりましたが、剪定作業に多くの時間を当てました。新果樹園周りでは、5種の脚立を駆使した剪定とそのクズさばきに2日を要しました。もちろん剪定だけでは疲れやすい。そこで、初の石工作業もして(年末に未来さんと決めたデザインで)石畳道の養生や、水に浸けてあったクルミの取り込みなどを挟んでいます。他のトピックスは、2日続けて商社時代の仲間と触れ合えたこと。カダヤシとイモリの越冬作戦を展開したおかげで予期せぬ発見があったこと。そして殺気のない人たちのおかげでサル孝行ができたことなど。
それよりも何よりも、『ジーンズスピリッツと私』の原稿が、上と下に分けて掲載になったおかげで、老いが進んだシナプスが稲妻のごとくに反応し、「上」では恩知らずだったことを反省し、「下」では「人生のエポックであったんだ」と気付かされたのです。このところ新著のおかげで、多々共感や励ましの便りとか来訪などに恵まれていますが、私は1973年来ライフワークに没頭していたことになる、と気付かされたのです。
下旬は2泊3日の出張から始まり、接種したインフルエンザワクチンがA型でヨカッタと実感。この出張中に教え子の来訪予定や、宙八さんから嬉しい知らせが入り、帰宅すると多々贈物などに恵まれていました。その後、蓄電器活用の補修工事。町内第1回勉強会。教え子AGUの来訪。妻と会費制パーティーに参加。あるいは久保田さんと坂本に出かけ目と舌を満たした半日などと続きました。この間は曇天が続き、AGU来訪の26日(土)は初雪。在宅時の好天は2日だけ。25日は畑の除草。30日は未来さんと当月最後の庭仕事で2か所のデザインを決めました。この後で大事件が発生するのです。
~経過詳細説明~
年末は、ドバイで活躍する佳菜子ちゃんが「久しぶりの里帰り」の隙間を活かし、庭仕事に駆けつけ、レモングラスの始末から手を付け、枯れ枝落としの助手、
そして重い鉢植えを「一人で持てます」といって温室に運び込むなど。午後から未来さんが参画。3人で散らかっていた古竹の整理に2時まで当たり、半分片付けました。佳菜子ちゃんを見送った後は、
未来さんと石畳道の養生作業をしながら、デザインを相談。雨の29日は、ささやかながら大工仕事(プラスチックが紫外線で台無しになった)の仕納め。
翌30日は恒例の注連縄づくりを今年もご一緒できる一家に恵まれ、藁丈が長い(酒米の)山田錦だったので新デザインを試みた。
大晦日は庭掃除の仕納めで、エンジンブロワーを取り出し門扉周りの落ち葉掃除。
1年の締めくくりは例年、庭掃除を終えた後、風呂焚き場に薪を運び込み、注連縄とお鏡餅を飾りつけ、
風呂焚きをするのが私の担当。妻は、墓掃除に出かけた後、前日から始めていたお節料理や酢の物の詰め合わせ、神棚や仏壇の掃除と新春を迎える飾りつけ、屠蘇の準備、そしてにしんそばを造る。その上で、除夜の鐘を聞きながら薪風呂を楽しむ。元旦は2人そろって、神棚で自然の摂理と、
三が日で食し切ろうとするお節料理では芽が出たクワイから手を付け、
最後は三が日を通して用い続ける祝箸を茶で洗う。これがわが家の年末年始の45年間守って来た歳時記の一環。
今やこれもボケ対策と考えて大事にしている。
元日にはトピックスが2つ。妻が、人形以外で髪を結うのは「初めてヨ」と喜んだ一時。
ここ数年、冨美男さんは古傷(低温火傷)の悪化で庭仕事がしんどくなり、「お花の先生」(妻の数名の生徒さんがご希望)を定期的にゲルトルームでしてもらっていた。それも節目(花材を積んだ自転車で坂を上るのがおぼつかなくなった)を迎えた。2日は遠来の一家を迎え、
シナプスフル回転の歓談。4日はIターンした宇野さんを来客として迎え、いわば文化の引き継ぎを開始。
5日はテレパシーを信じたくなったほどの贈物。
昼は仁美さんと電話で阿部ファミリーの元気を確認。夜は妻と今年のハマグリを話題に。そして7日。今年2度目の朝のコーヒーと、庭で摘んだ七草で造る粥を初めて昼に。
午後は新果樹園周りの剪定から手を付けた初の庭仕事。翌日は新年初の定期検診。帰宅後、大島紬がよく似合う劉穎さんを挟み、
バトンリレイのごとき来客。そして9日、2つの吉報(後藤さんを迎え、奥さんの退院を知る。
そして教え子はスロバキアに出かけていた)の知らせに安堵。
さらに午後は四国の小夜子さん(教室展に備え、時々泊りがけで集中的に人形創作に当たる)を迎え、
土産のフグで夕餉はちり鍋。妻が初めて食べず嫌いのフグの白子を賞味。これまでは私がいくら勧めても食べなかった。
庭仕事は7日の午後。遅れ気味の剪定作業(新果樹園のクルミやプラムなど、次いで園外フェンス沿いのカシワやロウバイなど)を初仕事に選んだ。そして、翌日の夕刻には新年初の風呂焚き場への薪の運び込みに当たった。
そして残りは焚き火用に)にさばき終えている。その後18日まで、晴れ間は庭に出て、庭の南面垣根のツバキやサザンカの背丈を(シカが庭に飛び込めない高さで)抑える刈り込みや
次いで、3本のカキ、各2本のエルダーとムクロジ、そして内庭の2本のスモモの剪定、と進んだが、囲炉裏場にまた剪定クズの山ができた。ここで19日に2人の佛教大生を迎え、新年初の焚火で囲炉裏場を片づけながら、学生は昨年私が囲炉裏場で造った薪を運び上げ、
この日は水島さんに、駐車場の屋根(庇を伸ばして、波板を新調した)の補修に来てもらっていたので、
この間に庭で1つのドラマが進行。舞台:私たち4人がしばしば通りかかった内庭。主役:これまでさんざん私たち夫婦を泣かせた憎きオスザル。除幕は、「様子がおかしい」と妻が気付き、
「ソーっとしておいてやりましょう」との提案。この気持ちが伝わったようで、好天で暖かくなった瓦の上で、次に気付いた時は「死んだのか?」のごとき午睡中。
「ボスザルの末路」を直感。このドラマは、この日迎えた3人の穏やかな(殺気を発しない)人柄のおかげだが、「このまま朝を迎えたら凍え死にかねない」と皆で心配。だが、夕刻の点検時には姿がなく、サル孝行劇は終幕。この日学生は、エンジンソーの初使用体験。水島さんには、庇伸ばしの溶接工事のついでに水洗トイレ用天水タンクの補修(加齢対策としての足置き場の取り付け)もしてもらえた。
この間の10日(木)。「こんな真っ赤な朝焼けは初めて」と不気味に明けたが、
終日庭仕事に取り組み、効率よく終えた。それは、合間に異なる作業をうまく挟み込んだオカゲ。脚立にのぼる剪定作業で脚が疲れたときは、座り仕事の石工作業に切り替え、
カラダが火照った時は、水に浸してあったクルミの実の取り込み作業で冷やす。
ヘトヘトになると、淡水魚やイモリの餌やりをした。この時に、予期せぬ発見があった。この庭ではこれまでに9種の陸貝を見つけているが、
畑の畝(殻をこれまで見つけてきた)ではなく、堆肥の山であったことを(ミミズごと堆肥の一部を屋内に取り込んでいたおかげで)突き止めた。
次の剪定疲れは、どんどん欠けてゆく仲間や「まだしばらくは…」程度のわが身をかんがみながら、新たに植えた苗木に寒冷紗を1人で被せてまわった。
この日、石畳道の養生では、未来さんとデザインを決めてあったところまで完成させた。
その後、30日のことだが、未来さんとこの養生の続きに当たり、新たな2か所のデザインを相談し、手分けして取り掛かった。
当月の来客は、年末年始の方々に加え、まず商社時代の旧友谷口さん他、
3つの時代の3人が個別に来訪。4つ目を心密かに期待。次いで劉穎さんを挟んだバトンリレーのごとき3人。この最後の岡田さんは、その後の交信で、日本のありようを読み直したくなる情報を届けてくださった。そして2人の佛教大生。さらに地域文化の引き継ぎ作業のごとき4人が入れ替わり立ち替わり。その一人とは新著の交換。
さらに教え子・勝山すすむさんが、チェコで活動する武道家と、と続いた。
教え子は(待ちわびていた便りに次いで)ブランク期間のエピソードを持参してくれたわけだが、これは心密かに期待していた4つ目の来訪になった。当月は、多々贈り物や頂き物にも恵まれたが、テレパシーを信じたくなった贈物の他に、京の有名料亭のモダンお煮しめ、
阿部ファミリーの元気を物語るさまざまな手作りの品、あるいは初収穫のヒジキと2種のB級ミカン(個性的な味と風味が魅力)の詰め合わせにも恵まれ、齢を重ねる幸せに感謝。
外出は6度。まず心臓の定期検診(まだしばらくは大丈夫との診断)で半日。次いでほぼ終日を割いた商社時代の(どんどん欠けてゆく)仲間との新年会を大阪で。
3度目は半日かけた買い物(セメント、ナメコの種駒、乗車券、あるいは写真の焼き付けなど)。4度目はマスク持参で出かけた2泊3日の関東出張(インフルエンザ大流行を実感し、接種したワクチンがA型であってヨカッタ)。夫婦で出掛けた半日がかりの会費制パーティー。そして最後は、久保田さんと外出。目を書と篆刻などで、
舌を創業300余年のそばでみたし、神猿(まざる)でも有名な日吉大社の境内で干支の申を様々なありようで堪能し、帰宅したが、知友一家の来訪と入れ違いになった。