毒気に当てられた。ピカソとマチスを、私はかねてから足掻きのピカソと収斂のマチス、と見てきた。そのピカソの足掻きを、このたびの版画コレクションでは、獣性と神性のはざまで揺れ動いた姿、と見なしてよいのではないかと私は感じた。
ピカソがプラド美術館でニコラ・プッサンを知り、そこに「画家の巨匠」を見出していたことや、1930年代のドイツで生じた(ヒトラーが廃頽芸術とみて蔑視した)流派に関心を寄せていたことなどを知ったが、「ヒト」と「人」のはざまに揺れたピカソの姿に食傷気味にされた催しになった。「人」への収斂はホドホドで投げ出し、死ぬまで「ヒト」の性にとらわれた生き方に、むしろ負の同情を覚えさえした。
ミノタウルス<a>に「ヒト=獣性」を見出し、多用し、ゲルニカにも用いた心境を思いながら、ピカソに群がった女性の心境を想った。「い眠る女性」<b>は、ペニスで抑え込まれることを夢見てる、とピカソは見なしていたのだろうか。オツムの左半分はペニスそのものだ。次なる一時を願って、創作活動をピカソが手段にしていた証拠のよう、ではないか。