楽しい月初の3日間でした。嬉しい知らせに次いで、来訪者が(恭祐さん、知範さん、宙八さん、自治会長、鵜飼さん他1人、お上人、未来さん、そして久保田さんと)続きました。おかげで、円形花壇の新装に始まり、引き継ぎや嬉しい相談も楽しみ、当月初の焼き芋もできたのです。他に、9月分の自然計画の原稿と写真を引き継ぎ、その補筆。加えて、3日間は雨が降らなかったので、多々畑仕事を挟み込むことができました。
だが、4日の朝はサッパリでした。前日の(初の入れ歯をはめる)予約を思い出し、慌てて(1日も早く違和感を失くしたくて)割込ませてもらったのです。午後は、私たち夫婦にとって大事な来訪者を迎えた後、天候不順を嘆きながら畑仕事。昨年で懲りたはずのトンネル栽培に手を出しました。夕刻は、整形外科医を妻と訪れ、左足完治の報告をし、新たな目標を1つ心に決めて帰宅。翌日のダブル台風到来に備えました。
かくして6日。台風25号を心配しながら、お待ちかねの台風並み(!?!)の来客・台湾の息子一家5人を2泊3日で迎えたのです。幸い25号は北にそれ、雨勝ちの1日で済みました。だが、廊下は運動場、食事時がサア大変、風呂焚きなどすべてがお祭り騒ぎで、スーパー台風並みを初体験。翌日は快晴、ハッピーが大人気。その後、2時間ほどの台風の目のごとき静かな(魚捕りに出かけた)一時の後は、さらに強風といった具合。でも楽しかった。
翌8日は、私は2つの用件で外出予定があり、一家と妻に送り出され、その後、妻が一家を見送った次第。外出は友人の呼び出しを好機に、ピカソの版画展にも立ち寄り、「ヒト」と「人」のはざまが生み出させた獣性と神性の間で揺れる(!?!)創作物を追認しました。
9日は、小魚の世話で明け、後藤さんに元気な顔を見せてもらい、TV録画での感動で暮れました。その間に、次著の構成、書斎での資料整理、そして翌早朝からの出張準備に当たっています。それにしても、過去27日間に6件14人の宿泊客や19人が集ったBBQがありましたが、「なんとかカラダはもったし、オツムもまだ大丈夫のよう」と、喜ぶことシキリです。
ところが翌10日はサッパリでした。2泊3日の関東出張でしたが、ナント私は1日早く出立していたのです。大勢の方々に大迷惑をかけ、テンヤワンヤ。だが皆さんにいたわっていただき、事なきを得たのです。12日に帰宅して秋を実感。その後、予定通りにアイトワのけん玉に関する来訪、日本ペンクラブの京都例会参加、村上夫妻の来訪、そして17日から四国の小夜子さんが6泊7日で来訪。さらに常寂光寺訪問の案件など、と続きました。
この間に、知範さんに半日を割いてもらい、自然計画を円滑にネットに載せるシステム作り。その後、カボチャ畑を仕立て直して巨大ニンニク(カボチャの裏作)の植え付け。当月来訪2度目の未来さんと半日を割き、夢の模索も。そして21日の予定の4人(若者2人と佛大生2人)の来訪に備えた作業(最後のキュウリの畝を仕立て直ておく)などを挟み込んでいます。
かくして20日。次著に関わる5人が集い、編集会議。翌日は予定通り、4人と庭仕事など。そして22日。翌日から出かける4泊5日の旧満州国旅行の準備に入りました。同行者7人の内の2人(遠方から参加)にはわが家で前泊してもらい、残る4人と関空で合流。所期の目的を無事に果たしたのです。
留守の間に野菜はずいぶん育ち、楽しい知らせと食べごろを迎えた3種の柿が待っていました。28日はウォームアップ程度の庭仕事。29日は朝から恭祐さん、午後に知範さんを迎え、PC作業と庭仕事。夕は妻と整形医へ。30日は心臓の定期検診と午後は奈良から川上さんが友人連れで来訪。月末は町内の若手3人と歓談の後、その内の一人、未来さんに残ってもり、大仕事をして1カ月を締めくくりました。
~経過詳細説明~
当月の初来訪者・恭祐さんは、妻が円形花壇の新装中だったので、その助成<a>。パンジーが主役のこの花壇<b>が完成。来年1月20日(冬休みに入る)までの来店客をもてなす。午後は未来(みらい)さんの初の庭仕事。彼女は、妻の紹介で付き合い始めた人で3度目の出会い。この日の来店客・久保田さんに「よろしければ」と声をかけてもらえ、「ならば」と甘え、長野出身の知恵も伺いながら3人で庭掃除。話題が台風の被害におよび、唯一の太い幹や竹が折れた現場を見てもらい、その後、当月初の焼き芋に着手。そこに恭祐さんが出張の帰途に立ち寄り、4人で味わえた<c>。
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その後、PCで9月分自然計画の原稿と写真を校正し、翌日知範さんに引き継いだ。鵜飼さんは地域の環境整備の相談で来訪。3日の午前は橋本宙八さんに中国旅行の土産話を伺った。こうして順調に始まった10月だが、4日は大事なアポイントを失念し、サッパリ。だが、大事な来訪者(リハビリ中の妻の生徒さんを夫とお嬢さんが案内)の交歓の環<d>に加えてもらえた。この生徒さんの夫は私の小学来の友人。退職後の今は、京都の観光スーパーガイドとして超有名。
この日の夕刻、庭で6種目(?)のカマキリ<e>を見つけた。
6日にスイフヨウが咲き始めた<f>。かつてお宅を訪ねた時に台風並み(!?!)と知った5人家族<g>を迎え、「せめて」食問題ぐらいは「お爺チャンらしく」と考えた。末娘の亜希は調理に参画<h>。次男の英志は粘土遊びに参画<i>。一家は犬を飼えないマンション住いゆえに、長男の有志は曇天の下でハッピーと散歩を希望。夕刻、酔芙蓉はかくのごとし<j>。晴れた翌日、5人は川組<k>と山組の方向へ2チームに分かれて時間差出撃。帰還時は5人一緒で、戦果はたくさんの小魚。水槽で飼う<l>ことにした。陳さんとは、4人を寝させた後、過日のBBQで残った酒を始末しながらよもやま話。
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3日目は小魚の餌やり<m>で明け、見送ってもらった<n>。翌日、酸素を溶け込ます小道具を作り、小魚の世話<o>をしながら「せめてもう1泊してほしかったなァ」と思った次第。この小道具作りや世話は「人」にしかできない。
外出予定は、岡山に住まう友人から「赤城曠児郎の個展(京都大丸)場で」会そうとの提案だった。ならば「ついでに」と、先にピカソの版画展に立ち寄り、少し毒気に当てられた。4枚のえはがきを購入<p>。その上で赤城先生の個展会場で5人は会し<q>、再会を祝した。友人は商社時代の後輩で、夫人のあだち幸さんは独自技法の友禅染で仏の世界を描き上げる「友禅画家」。共通の友・臂美恵さんは仏教マンガ家。予定していた会食でココロを和ませた後、自宅に戻り、わが家の2枚のスペイン産タイル<r><s>を眺めて、ニンマリ。
TV録画での感動は、NHK-TV・ETV特集『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』<s><t><u>で得たもので、「人」として異常をきたした兵士がわが国でも多発していたことを知ってホッと胸をなでおろすこと<v><w>から始まり、日本兵には「一人もいない」と公表した権力<x>の「ヒト」としての卑劣さにウンザリした。
それだけ余計に次著の構成に時間と手間を割いた。ハサミや糊を取り出し、ペイジ繰りを組み直し<y>、追加の写真(案)を用意し<z>、目次を少しいじくるなど、5人で会する校正の日に備えた。校正当日は喧々諤々、追加写真(案)は却下。未来志向を期待され、新たな案を作成<a'>した。ともかく、「必然の未来」が見え透いてきたので、誰しもに「なるほど」とニッコリうなずいてもらえるように意識した。「ヒト」と「人」のはざまが織りなす変転動乱を得心して受け入れて、消化してもらいたい。もはや「願望の未来」志向では通用しないようだ、と得心しあう一著にしたい。
大勢の方々に迷惑をかけた関東出張から帰宅。まず秋を実感<b'>。それは、妻の友人と義妹にもらったカボチャ(わが家は、白い方はシカに、ツルクビカボチャはサルに襲われ、種が採れなかった)に加え、妻が庭で収穫したヤマグリ、シホウチク、そしてジロウガキのそれぞれ初採り。この夜、シホウチクの新メニュー<c'>を賞味。けん玉<d'>は、民輪さん(大晦日の紅白歌合戦で用いるけん玉の提供者)が作ってくださったアイトワオリジナル。兵庫の県木・クスノキの活用策と知り、共感。日本ペンクラブの京都例会では、前会長・浅田次郎の話を聴き<e'>、現会長の吉岡忍(確か1967年、早稲田大学の入学式にただ一人ジーンズ姿で臨んだ学生と記憶する)に私はかねてから心惹かれて来たこともあり、面々の憲法観も知りたくなって一著(右)を購入。近くこの4冊<f'>を楽しみたい。『線量計が鳴る』(中上)は、嬉しい手紙と一緒に届いた。北海道泊原発や東海第2原発の近くでも公演をぶつけ、来年3月末には60回公演を記録しそう、とあった。赤い一著(中下)は赤城先生にもらい、機関誌(左)は、ジーンズ業界の大御所の一人に届けてもらえた。
次いで村上夫妻を迎え、もみ殻と木灰を交換。竹のシントビ(芯飛び?)の怖さを教えてもらい、生きものの根本(動物にも相通じる何か)に触れたかのような気分になった。そのあとでカボチャ畑の手入れ<i'>。カボチャの裏作としてトッテンさんにもらった巨大ニンニクを植え付けた。
未来さんと2人で、イノシシスロープの一角(ダイコンなどを日干しにする棚)ハザカケのそばの土手に生えた竹などを切り取った<j'><k'>。さらに、割れた植木鉢の2度目の補修<l'><m'>を見てもらい、アイトワの願いを話題にして歓談。まず、竹の切り取り(私が切り取ると未来さんが囲炉裏場に運んだ)を通して会得した「結」のココロ。次いで、割れた植木鉢の補修は、お金さえ出せば誰にでも手に入る複製品を、この世で唯一の品にする「銘々品」化であり、そのココロを語らうなど、よき半日になった。
おかげで、次著に関わる5人が20日に集い、校正に当たった<n'>が、自ずと力がこもった。この日、妻はアイトワの「庭めぐりの賜物」を用意<o'>し、表紙に用いる人形<p'>を取り出してきた。翌日、佛教大生の来訪日程に合わせて恭祐さんと知範さんが合流<q'>。4人は新たな庭仕事のテーマと取り組み始めた。完成は来春になるだろう。焚き火<r'>の後、見事なほろ酔い加減になったスイフヨウを見た<s'>。
かくして22日、朝に、入れ歯の点検。昼に、翌朝から出かける旧満州国に夢を馳せながら、5日間の留守に備えた畑仕事と水鉢(の魚や水草)などの世話。夕に、今治から陽平さん、夜に、茨城からさちよさんを迎え、いわば前夜祭。
この間だったと思う、ケイタイを示し「この赤シャツをお持ちでしょう」と問いかける来店客<t'>に恵まれた。スペインからの来訪だった。
帰国すると、出かける前に植えた野菜の苗はずいぶん育ち、巨大ニンニク(右)<u'>9は芽を出し、はや冬の風情<v'>の畑に迎えられた。妻は「留守中に、証拠写真<w'>が届けられましたヨ」とニンマリ。日本ペンクラブ京都総会のスナップだった。さまざまな楽しい知らせが取り置いてもらえていた。早速私は、カラダを庭仕事バージョンに切り替えることから始め、月末の3日を過ごした。2人の若者の来訪を始め、6件の日替わり来訪の約束があったし、心臓の定期検診や妻と整形医を訪ねる外出予定もあった。それらを消化しながら、私は一畝を耕した。恭祐さんと知範さんとさんの2人の若者は枯れ竹の切り取り<x'>に手を付けた。月末は未来さんと山土(乙佳さんにもらいパーキングに積んであった)を袋詰めにして移動<y'>に手を付けた。11月から津乃吉の若奥さんを恵方屋台に迎える。