「せめて」食問題ぐらい。初日の夕食は、到着後間なしのことであり、「次男は魚が苦手」と前もって知っていた妻は、初めて試みる(肉類も加えた)手巻き寿司<a>を準備。これが大好評、まではヨカッタ。だが、とりわけ兄がそれ以上の好き嫌いを露わにするありようを知り、おじいちゃんの出番を意識し始めた。
末娘の亜希が、母親たちの真似がしたくて台所仕事に加わった時<b>に、私は無上の喜びを感じた。妻は即刻その手ほどきを始めたが、とても微笑ましく思った。もちろん、肝心の台所仕事は中断し、手ほどきに手間取っていたが、私はこれが「人生の教育」(「人」にしかできない行為の意義づけ)のように感じた。少し夕食は遅れたが、揃って楽しく始まった。
翌朝、一番に私は目覚めたが、準備がキチンと整った食卓<c>にとても心が和んだ。お待ちかねの一家の来訪だし、どのような国の、どのような場に招かれないとも限らない家族だから、と妻は胸を膨らませていたのだろう。かつて阿部ファミリーが幾度目かに訪れた折に、下の娘「花連」が居残って縫い上げ、残して帰ったテーブルクロスだ。ひょっとしたら今度は亜希が縫って、置き土産にするテーブルクロスと交互に用いながら、私は死ぬまでに食事を楽しめるかもしれない。
陳一家が順に起き出してきて、ダイニングキッチンが朝食の準備で賑わった。やがて妻に「孝之さん」と呼び掛けられ、隣室と仕切る引き戸を開く亜希が前夜に倣って調理に加わっていた<d>。
「学習効果はスゴイ」と妻が叫んだ。見ると、亜希は前夜教えられたように、上手<f>に卵をかき混ぜ始めていた。
朝食となった。妻が長男の英志に「どうして席を変えたの」と不満げに問いかけた。英志は答えなかったが、その理由は私には分かっていた。ついに、テーブルクロスは話題にのぼらなかった。
この日、一家は魚捕りに出かけ、帰宅時は一家で、多くの収穫を得て帰ってきた。
2日後に、台湾の息子と呼ぶ陳さんから礼の電話が入った。しばし会話が弾んだが、最後に父親ぶって助言を与えた。「偉そうに」と、また妻にニガニガしげな顔をされそうだが、それは子どもの躾けに関するヒントだった。
「人間(「人」)にしかできないことを子どもが始めたら、好きさせ、励まし、褒めて伸ばしてほしい。逆に、犬(「ヒト」)にでも出来そうなことを始めたら、人間にしかできない取り組み方を教えてほしい」
「・・・・・」
「たとえば、イモを掘ったり、イモを食べたりすることは、イヌにもイノシシにでもできる。だが、イモの植え付けは、人間が得手とするところで、イヌやイノシシにはできない」。要は、イヌにもできる掘ったり食べたりは、「人」らしく「できる」ように躾けたい。もっと大事なことは、イモの収穫や賞味する喜びを連想しながら、植え付ける喜びを感じることができる「人」に育てることだ、と話した。そう訴えながら、妻にまたニガニガしげな顔で「偉そうに」と、非難されそうに思った。