中国旅行の報告書まとめ。この度の中国旅行では、報告書作りに随分時間をかけたし、とても悩みもしたし、苦心もした。まず、旅行中にほとんどメモをとらなかったからだ。加えて、私がこの目で知る30年余の間に、中国は劇的な変化を遂げた。これからはさらに劇的な変化を成し遂げるに違いないとの期待も寄せるようになり、その変化を出来れば見通せるような文章にしておきたくなったから、苦心した。
この辺でよかろう、キリがない、無い知恵は絞れない、と6人の仲間に出来たばかりの報告者を送ることでケリをつけた。その後、とてもありがたいことが幾つかあった。
その第1は、朝日新聞で紹介された福田元首相の想いをまとめた一文だ。「中国が良い方向に少しでも変わったな、というところが見えたなら、その努力を認めるべきではないでしょうか」という。この6月に「南京大虐殺記念館」を訪れたとも語る。
この人には「見えているのだ」と思いながら読み進むと、「習氏は『人類運命共同体の形成』を目標にかかげています」という下りに至り、「ヤッパリ」と思った。私はほんの少しの情報をもとに「そうとしか考えられない」との思いに駆られ、新著に希望を見出す下りを記したが、福田元首相もそのお一人であるに違いないた。
こうなると、かつてマッカーサー元帥が「日本人の精神年齢は13歳」と言ったことや、日本人の自虐性を指摘したダレス元国務長官の見方も思い出さざるを得ない。日本人の欧米人に対する劣等感と、差別感情をうまく活用すれば、日本人はアメリカに従属する一方、アジアで孤立し続けるだろう、と見通しだった。岸元首相と頻繁に語らった人だ。
その前後にこうした人たちが語らっていた内容の一端もこの度(情報公開で)明らかになった。憲法を改正し、海外派兵してアメリカと共に戦うことや、空母の話も出していたという。この情報も加味し、岸論がまた刷新されそうだ。なぜ戦犯中の戦犯だった岸が、他の7人が死刑執行された翌日に保釈されたのか。
2つ目は、敦煌まで足を延ばした旅などで、、これまでの使い残した紙幣がでてきたこと。当時は旅行者用の中国人民銀行券 1 を使ったことを思い出した。旅行者用の紙幣は兌換券であったと記憶するが、今はどのような位置づけだろうか。今は、当時から中国人が用いていた紙幣に一本化されており、外貨と交換できる。
当時の兌換券であった紙幣の使用を中国はいつごろ終えたのか、あるいはまだ終えていないのか、と思った。かつて、東南アジアの僻地を旅した時に、日本人と知って大勢の現地の人が戦時中の軍票を持参し「今のお金と交換してくれ」と問われたことを思い出した。
また、帰国後に新聞を整理していて、出発当日に、中国が世界最長の橋を開通させていたことを知った。香港とマカオをつなぎ、海底トンネルも加えると55kmもの橋だ。さらに、世界で初めて、月の裏側の調査を始めたことも知った。
それよりも何よりも、考古学的な発見が沢山あったことも知り、不思議な心境にされた。人類史(アフリカを出て世界に広がった足跡)は、欧州が先行したと習ったが、早晩塗り替えられそうだ。となれば、合点が行くことがある。4大文明を拓いた人たちと、その地域と、今の文明との関係で、中国が際立った存在になりそうだ。
私の海外体験や経験は54年前から始まったが、当時のアジアの人たちが日本を見ていた心境を思い出した。その頃に、日本は決定的な失策を犯したが、主客が逆転しつつある今、再び同じ失敗を犯し始めている。
福田元首相の一文でいえば、経済規模が日本の100分の1時代に中国は外国との兌換券を別途こしらえたわけだ。1人当たりで言えば、1000分の1あたりの頃のことだ。その後、トントンくらいの時に廃止したのではないか。今は日本の3倍ほどの国になったわけだが、あと10年ほどで10倍ぐらいに、つまり1人当たりでトントンになるかもしれない。
その時に、つまり10年後に読み直し、「なるほど」との思いで得心できるように記しておきたいと悩み、苦労もしたわけだ。それだけに、情報量が格段に違う福田元首相の一文を読み、ヨカッタ、とつくづく思った次第。
福田元首相だけでなく聞き手の倉重奈苗さんにもとても感謝した。「日中次の40年は」という見出しだが、あらかたの答えがこの意見から読みとれそうに感じた。