抱き人形。このゴリラが私に当たったので、膝に抱いて、50人ほどの人たちにわたり切るのを待った。その間に、実に不思議な心境になった。まず、次第に私が抱く人形が可愛くなっていった。私のゴリラを見比べながら、これが一番と手放しがたくなった。これが抱き人形を生まれて初めて意識した体験になった。どうしてか、と思った。「目がよい」とまず感じた。それは「目が合うからだ」と分かり、早く妻に見せたい、と思った。
1日遅れでわが家に送り届けてもらえたが、予期せぬ反応や、想像をはるかに超えた妻の反応に出くわすところとなった。妻はまず、私の記憶の片隅にもない話題を持ち出した。かつて妻は抱き人形が欲しくなったことがあったようだ。にべもなく私は「子どもじゃあるまいし」と切り捨てたらしい。まずその思い出を、恨めし気に持ち出した。
だが、尾を引かなかった。「可愛い」と言ってゴリラを抱きしめ、「名前を付けなくっちゃ」となったからだ。この喜びようを、とカメラを持ち出したが、妻は常軌を取り戻したようで、白髪頭には似合いません、とばかりに拒否された。名前は「ラリゴ、でどうだ」と提案したが、分けも聴かずに、これも拒否した。
その夜、妻はラリゴを寝室に持ち込み、抱いて寝た。幼児期からの憧れであったのかもしれない。認知症患者が今後増えそうだが「抱き人形が…」と考えているうちに眠りこけてしまった。妻は夢の中で、ラリゴに替わる名前を考えていたのかもしれない。
「モカ」にします。これが朝の挨拶だった。単純すぎる名前だが、覚えやすいし、耳に響きよいと思うので了承した。
流石に二晩目は、抱いて寝たりはしなかった。食卓の自分の椅子に座らせてあった 1 。思わず私は「モカ」と、呼びかけた。
翌日、ハッピーが被害者になった。10時過ぎにソソクサと妻が工房から戻ってきた。生徒さんが「どう目が合うのか、と(不思議そうに)おっしゃるので」と部屋の中を走る。だから「ゴリラならあっち」と教えるト、「モカです」とふくれながら飛び出していった。その直後にハッピーが激しく騒ぎ始めた。見ると、妻が抱くモカへの威嚇 2 だった。