小雨混じりの(4月)一日、ワラビを初摘み。2日、夫婦で久方ぶりに終日の外出し、帰途ゴルフショップで新兵器(コルセットを)購入。3日、知範さんと懸案のツバキ4本を大剪定。薄氷で明けた4日、新兵器を着装して除草に取り組み、かつての女性の感覚を体感。夕刻、タラの芽初収穫。快晴の5日、恒例の赤飯を楽しむ。その後8日まで、快晴が続き、ハナモモの時差生け花には失敗。でも、新兵器のおかげで連続3日間、終日1人で庭仕事れ当たり、除草や石ころを丁寧に取り除きながら夏野菜の畝を用意し、キュウリなどの苗づくりを済ませました。
この間の7日のこと。朝に自然死のコジュケイを発見。昼前にモンシロチョウが、午後にキチョウが舞い、モモが満開に、そして紅垂れザクラは五分咲きに。9日、トカゲが姿を見せ「もう夏だ」と実感。予報で翌日は雨と知り、急ぎ寒冷紗を外して収納。雨になった翌水曜日は、予定通りに知範・未来の2人を迎え、歓談。話が弾み、アッと言う間の数時間でした。その後、書斎にこもり、資料の整理など。多彩な上旬でしたが、他に次のようなトピックスも生じています。
まず、小と中の9年間轡を並べた友だちの急逝。デンマークとサイエスタさいたまから近著への返礼。次いで稲葉ゆうこさんの絵本が届き、悔しい思い。鳥取の西粟倉村から友人がメールで「まず、私が定住し」居場所を得た。「いずれ夫も合流」との嬉しい知らせ。次は驚嘆!それは、「その気になってしまった植物の凄さ」にビックリさせられたこと。そしてもう1つ、来客が、身内のごとき2人を除くと、飛び入りもなし。朝ドラ『あおぞら』を楽しみ始めた10日間でした。
中旬は11日の岡田さんに始まり、来客や加勢人が続き、3つの旅の予定が立ち、次のような幾つかの懸案が片づきました。町医者を訪れて期待の会話を交わせた。畑では花盛りのスナップエンドウや第2次の菜の花畑を愛でながら、第1次夏野菜5種の苗を植え付け終えたなど、大ハッスル。さらに、4つの懸案も片づけることができた。緊急用排水ポンプのホース収納装置を作った。コンクリプールのガードネットが完成。さらに、16日は知範さんを迎えて2つの懸案を片づけ、記念樹も植えた、というわけです。
午後は雨と知った14日は、午前中にハクモクレンの落ちて乾いた花びらをブロワーで集め、ナスの畝にマルチング。雨になった午後は書斎に。快晴の翌日は、2度目の菜の花弁当を庭に運んでもらい、ネギと第2次ブロッコリ-の畝を整理し、堆肥の山を花盛りにするなど、終日の畑仕事、と少し張り切りすぎ。この日、妻は今が盛りのミツバを使ってお巻きを造り、ミツバの玉水と共に夕食に。私はほお張りながら途中で居眠り、風呂の後はバタンキュー、といったあんばいでした。
この間に、近著に関し、知範さんのメールがキッカケかのごとく、次々と内外から嬉しい知らせが続いたわけです。そして7日のコジュケイがキッカケかのごとく、三崎さんから久しぶりに鳥の便りや、サギの襲来など多々鳥に関りました。山菜は、第2次のタラの芽、ワラビ、そしてヨモギを摘み、祈る思いでタラの木の手入れをしています。かくして18日から温泉が楽しみの2泊3日の出張の途についています。
3日間留守にしていた間に、ケシの花が咲き始め、野草が恐ろしくなるほど茂り、大勢の人が留守中に訪ねて下さっていた。その一人・AGUは京都に滞在中で、再訪願えた。その後も、東京から通う妻の2人の生徒さんと朝のコーヒー、「トルコから」とおっしゃる素敵なご夫婦の庭案内、佛教大生新旧リーダーの引き継ぎ、そしてリズさんの里帰りなどと続き、多様な触れ合いに恵まれました。
この間に、ウドの収穫、過日切り取ったシホウチクの枝払いや囲炉裏場の整理。畑は、自家製のキュウリとインゲンマメの苗を植え、トマトやトウガラシにも支柱が立つなど夏姿に。妻は除草に精を出して、中庭の一角を願い通りの苔庭に仕上げました。
~経過詳細~
先月のフキノトウとコゴミから始まった山菜の季節は、初ワラビを1日に(私が温室でインゲンマメなどのポット苗づくりをしている間に)妻が、ワラビ土手で摘み採り、木灰であく抜きに入った。コゴミはすでにあちらこちらで長けて、茂っている。
二日の火曜日は久方ぶりに、妻と終日の外出。昼食に妻は天ぷらを選んだが、小さなタラの芽は風味がなく、わが家のタラの芽の香りや味などに思いを馳せた。
翌日は、あく抜きできた初ワラビが過日の清太クンにもらったツクシと共に菜の花弁当になり、妻は生徒さんに振る舞い、私も知範さんと一緒にお相伴。
わが家ではスギナも目の敵の1つにしているから、ツクシが随分減った。
初収穫のタラの芽は、イカと共に天プラになり、夕食の一品に。翌日は昼の天ぷらうどんにも活かされた。
この日のタラの芽は、急斜面で摘んだ野生種で、足をとられそうになり、加齢対策の必要性に気付かされた。
ミツバの収穫が本格化し、4月5日は恒例の赤飯を楽しむ日だったが、この度は、アイトワの(喫茶室をカフェビストロに改装して、妻が近郊の主婦仲間と)喫茶店としてオープンして34年目だった。これまでに1度も欠かすことなく(オープン時の同じ仲間と、馴染みの店で求めた赤飯を食し)開店記念日を祝ってきた。
第2次のワラビは私が摘んだ。今年は妻の指摘通りにワラビは不作。かつての収穫場であった「ワラビ道」(居宅と喫茶店の間にある)は、木陰になってあまり出なくなった。新・自生場で「ワラビ土手」(居宅の裏庭にある土手)は、なぜか極端な不作。この2か所ではワラビの色が異なるので、比較のために1本だけ、ワラビ土手でも摘んだ。
ちなみに、異常と言えば、モミジの発芽状況も異常だ。これまでに見たことがないほど多くが発芽している。「人形の苔庭だけで2000本以上も抜き」とった、と妻に聞かされ、抜き忘れたところを2人で探し、まさに「この状態よ」と知った。
大量の発芽と言えば、畑の随所で宿根ソバが芽吹き始めており、抜き取りに追われている。昨秋の種から芽吹いたものだが、新食材として活かし始めた。
ちなみに、上の畑(写真の畝)では、右下にミツバが、左下方と右上でモミジが芽を出すなど、わが家の土地にはさまざまな植物の種が潜んでおり、勝ったい芽吹く。
これらを残しておくと(とりわけ宿根ソバは、一夏で株を太らせ、種をまた落させ)始末がつかなくなる。もちろん宿根ソバには新果樹園などに自生場は与えており、ミツバと同様に大事にしている。
第2次の野生のタラの芽と、栽培種(艶がある)の第1次分を一緒に摘んだ。わが家では大きく育てて野菜のごとくに収穫し、山菜の優として風味を楽しむことにしている。妻はこの度、初めて試みたメニューがあり、これからは年に一度は楽しみたい。
そのようなわけで、収穫したてのタラの芽を少し知範さんに進呈し、すぐに調理して、その風味を共感してもらった。
そこで、タラの樹高を(加齢対策として)押さえることにした。幹を切り取り、下の方から新芽を吹かせる魂胆だ。切り取った幹は「副産物を!」と願い、試みたことがある。市場で一般的に売られているタラの芽はこうして作られている。
問題は、幹を切り取る位置や時期を間違うと母体の木を枯らしかねず、この度のやり方でよかったのか否か、ハラハラして経過を見ている。
この時期は、ノラボウナが薹を立て、本来の味を発揮し始めるから、これに学んで近ごろはさまざまな薹を楽しむようになっている。
わが家ではイラクサの新芽も食材にするが、ベーコン巻きが定番。
今年は、アケビの剪定に失敗したが、そのアケビ棚の側に過日移植した方のアケビが、やっと芽吹き、胸をなでおろした。ワラビに色違いがあるように、この2本は色違いで、後者の花はチョコレート色で、来年にもその花を楽しめるだろう。
当月最後に楽しんだ山菜はウド(4/27)であったが、まず刺身で、プロシュート巻きの新メニューが誕生、そそくさと赤ワインを開けた。
2度目のウドの収穫は、リズさんが里帰りした日(4/27)だが、色違いを収穫し、昼は天ぷらうどんに、夜は吸い物の具に活かした。
ちなみに、写真には野生種のタラの芽と、ウコギの新芽が映っている。ウコギはウコギ飯になり、タラの芽は天ぷらうどんに生かされた。
実は、首を長くしてリズさんの里帰りを待っていた。英文のメールに返事をしたためたかったからだ。何事にも波があるようで、近著に対する嬉しい知らせが、まるで第2派のごとしだ。その中に「第4時代」やフィンドホンにも言及した質問があり、彼女の手を借りて返事をしたためたかった。
第1波は出版時のことで、メールや手紙に始まり、2週間ほどでピークは過ぎた。だが、たとえこの人だけにでも、と願っていた人の多くに共感だけでなく、丁重な感想も寄せてもらえ、とてもありがたかった。これで意義と甲斐が充分にあった、と感謝した。
ところが、デンマークのチョコレートや、サイエスタさいたまのロゼワインなどの第2派が始まり、その1つが、知範さんからの写真であった。つくづく、三カ国語にしただけでなく、写真を多くしておいてヨカッタと思った。私はこの年頃に姉の教科書でエジプトの写真に触れており、既にエジプトに3度出かけている。それよりもなによりも、三つ子の魂を連想し、とても嬉しかった。幼子は、親がしていることを真似たがり、それを生涯の楽しみにしがちだ。
久方ぶりに妻と終日の外出を計画した月だったが、結果的には外出の少ない月になった。それは、日々刻々と様子を変える春の庭に急かされて、あれもしたい、これもしたいだけでなく、しておかなければ、にまで追われたせいだ。
妻と出かけたのは、まず知友の猪飼鍼灸院へ「お礼」を兼ねた3度目の治療を願ったからだ。ならば、ご無沙汰している長勝鋸に、となり、それならかねてから求められていた面談にも、と予定が増えた。
鍼灸院では、義妹が「近く(加療を)お願いするはず」と伝えて辞し、オフィス街に移動。所用を済ませたところで昼になった。妻に選択権を与えると「天ぷら」を選び、ちょっと私は気が引けた。
妻は開拓村で生まれ、先生が2人の小学校卒業までそこで過ごした。父は、艤装工として戦艦大和の建造に携わり、過労で倒れた。母は当時、恋愛結婚をした手前、親元には頼らなかった。夫と2人の娘と1人息子を連れて開拓村に入り、看病生活に入った。遠方の段々畑まで日々通う農耕に携わり、現金収入はコンニャク芋と菜種油で得た。
敗戦後数年して妻が、そして妹が生まれた。そのころの父親は出稼ぎで家を空けがちになっており、幼かった妻と妹は留守番をさせられた。だから妻は、今も雨の日が嫌い、ではない。むしろ母が側にいた雨の日が好きだった。そこで、8歳のころから妻は始めたことがある。ありあわせの食材で幾つもの弁当を造り、遠方の畑まで持参することだった。母や姉は大いに喜び、夕刻まで側で遊び、連れだって帰ることを許された。弁当はおのずと天ぷらが多くなった。油と小麦粉は売るほどあったからだ。
だから、妻は天ぷらが得意だし、気安く揚げる。山菜の季節は天ぷらが増えがちだ。にもかかわらず、妻は昼食に天ぷら屋を選んだ。天ぷらは、揚げた当人は油に酔い、食傷気味になりかねないから、と私は聞かされており、気が引けた。
天ぷら定食の後、少数民族の写真展の会場を覗いた。肝心の生活感がまったくなく、ガッカリした。だが、次を目指したタクシーの中で、解説を読んだ妻から、この民族は外界との接触がなく、しょっちゅう着飾ってお祭りの連続のような暮らしをしているようだ、と聞かされた。それだけに、その生活の実体を余計に知りたくなった。
祭りが自分たちのために、ではなくて、見世物になるにしたがって自然への畏敬の念が薄れ始め、並行して人心が荒れ、生きる崇高さが減退する、と私は経験的に承知している。もっともそれは、インドネシア、タイ、ジンバブエ、ベトナム、あるいは中国など限られた少数民族での経験に過ぎないが、押して知るべし、と見てよさそうな体験をしてきた。少なくと、この例外には出会っていない。
たどり着いてみると「起き返りコボシ」展は2日続きの休館日だった。妻は後日、妹を誘って再訪した。義妹によれば「アランドロンも出品」していたようだ。いわゆる大勢の有名人に呼びかけ、大量生産した白地のダルマに、おのおのなりに絵筆を振るわせたわけだが、「お見事」と私は思った。妻の分は、永田萌さんと山折哲雄さんの作と一緒に並べてもらっていた。
そして、久しぶりに長勝鋸を訪れ、歓談を楽しんだ。途中で親方が「お急ぎでしょうから」と、持ち込んだノコの一丁を研ぎながらの語らいとなった。網田さんが話題に登り、京北「匠の祭典」が秋になることを伺って辞し、帰途、ゴルフショップに立ち寄った。
新兵器(新発売の腰をガードするサポーター)の購入が目当てであった。店を出ると陽は西山に隠れようとしており、夕陽を真正面に浴びながら山裾のわが家を目指した。「よくぞ(通勤に不便な)ここを(商社に職場を得ながら)終の棲家と見定めたものだ」と、入社間なしに住宅金融公庫に申請し、最初にして最後(になりそう)の借金をしたことを振り返った。このころから、清豊を目指す第一は、未来を見据え、過信しないこと。たとえば借金をしないのもその1つ、と気付かされている。
次の非日常の外出は、後日になったが(両親時代の)家庭医訪問だった。昨秋受けた市民検診(の血液検査)結果を尋ねるためだが、今になった。「悪しき数値が出ていたら電話します」と、言ってもらえていたからだ。
実は、この医院の先代に、父は看取ってもらい西方浄土へ旅立った。母はそう願いながら、大腸ガンを患ってしまい、最寄りの瀟洒な病院長を紹介してもらい、終期は往診してもらって、父と同じく自分の寝床から西方浄土へ旅立ち、葬儀も父と同様に、その願い通りに自宅でささやかにおこなった。
私たち夫婦は、両親のようには(風邪とか38や9度の熱程度、あるいは少々の傷では)医者に頼らない。だから、自ずと家庭医には脚が向かない。だが「ボツボツ」と考えるようになっており、秘かな期待を込めて訪れていた。
2年目の市民検診であり、4度目の面談であったが、やっと顔を覚えてもらえたようだ。だから「この際に」とばかりに、両新時代からの話題を出し、「ボツボツ」との想いで誘い水をさした。「そんならお二人は、私が看取らナあきませんナ」とおっしゃった。だがすぐに「私の方が先に」と、その医者は「行くかもしれませんが」と付け足された。
そこで、散歩の折にでも「一度、(わが家に)お立ち寄り下さい」「喫茶店がありますから」と願って辞し、帰途妻と「時々何かこじつけて訪れるように」しよう、と語らった。
他に、2泊3日の出張があり、2つの思い出深いことがあった。その1つは、2時間近い対話だった。私の目には工業社会の犠牲者のように映った穏やかな人と膝を突き合わせ、語らった。こうした人が多発することを怖れ、VIBGYIOR=COLLAR化を提唱した(くなって脱サラし、著作に手を染めた、といってよい)が、その甲斐がなかったことを思い知らされた。何事も過信せずに、早めに手を打てば、難なくかなえられるものだし、それが自信や誇りを養わせるのだが、わが国では、後手後手が流行りのようだ。
企業は未だに社会的責任を問われそうな,課題を疎かにしている。給与所得者は、特定の組織でのみ適応可能な単色の人(WHITE=COLLARやBLUE= COLLAR、あるいはPINK=COLLARなど)になって、ドップリ安住している。女子大生の中には「コンビニのないところで生きてゆけるのですか」と質問する人さえいる。そうした工業社会や組織の居場所から外された人と、真剣に話し合ったわけだ。
気概に目覚め、心の内で己自身の「棚卸」をし、そこに見えてくる己を見つめ、自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の手で未來を切り拓こう、という気になって欲しい、と願った。「私の提言を踏まえ、奥さんとご相談を」と勧めた。
私は、脱サラを決めて帰宅してから妻に通告し、ショックを与えたように思う。翌朝、いつものように早く目が覚め、ボンヤリしている私に、妻は「スズメだってあんなに元気に…」と話しかけた。一晩中考えた精いっぱいの覚悟だったようにも思う。
対話の相手は、何かが吹っ切れたような笑顔になり、翌日の再会を約した。
この夜は、海岸沿いの温泉に案内してもらった。高台の露天風呂から打ち寄せる波を眺めたり、満月を坪湯から見上げたりしながら、1人まどろみながら過ごした。
そして翌日、別人のごとく垢抜けした精神的VIBGYIOR=COLLARと会した。
庭仕事は4本の懸案のツバキを大剪定することから始まり、幾つかの大仕事を片付けた。先月、知範さんの手を借りてシホウチクを皆伐した部分があったが、その折にツバキが異常に伸びていたことに気付かされた。まず、その剪定をした。これは、1カ月来の懸案だったが、新たな懸案を予感させた。そこは日陰であり、お隣の樹木がほどよく育ち始めたこともあり、いずれは根元から切り取らざるを得ないのではないか。
次いで1年来の懸案に手をつけた。それは、不要となったステンレス浴槽を、畑のミニため池に転用したが、その埋け方を改めるミニ土木工事だった。かつて学生と埋め込んだものだが、水を張ってから水平でなかったことに気付き、爾来懸案になっていた。
さらに2年来の懸案も片づけた。それはある1本の木の処置方法を探る案件だった。蜜源と聞いて育てた木だが、異常に背を伸ばしてしまった。このたび一石三鳥を願い、手を入れた。まず、高所がやや苦手の知範さんに、ほどよい緊迫感を味わってもらう。次に、この木の性格と性質を2年ほどかけて一緒に観察し、木の個性がいかに多様であるかを知範さんの心に焼き付けたい。
そして、太陽光温水器はこの木の側の屋根に設置してあるが、放っておけば日陰にしかねない。もちろん私が、2連梯子をかけ、安全確保の策をこうじ、模範になる枝の切り落とし方を示してからバトンタッチした。彼は飲み込み(切り込み方や風向きの読み方など)も早く、瓦屋根の上に重い枝を落とすことなくし終えた。「運」も強そう、と見た。この木の手入れとミニ土木作業が、この度の2つの懸案であった。だから、この日は、鉢植えの桜を記念樹のごとくに地に下ろしてもらった。
そこはヒメガキの根がはびこり、苗木が沢山芽吹いてところであった。だから、根ごと掘り起こしたヒメガキの苗木を幾本か選び出し、盆栽造りの鉢植えにして、その1つを持ち帰ってもらった。
他に、一人で当たったホース収納装置と、コンクリプールのガードネット作りも数えたい。前者は、エンジン式排水ポンプの備品の収納であり、後者はコンクリプールに棲む淡水魚を守る上で不可欠の装置であり、共に懸案であった。
このガードネットがなかったために、昨夏は大きなウシガエルが棲み着き、その上にこの春はサギが日ごとに飛来し、淡水魚をことごとく平らげてしまった。だから、ガードネットを張ると同時に、広縁で冬を越した川魚の大きく育った分と、買い求めたキンギョの子どもを放し、再生させることにした。
上旬の来客は、今や身内のごとき2人しか予定がなく、この2人に(ハナモモの蕾がまだ固かったので)「清豊」の一例として時差生け花を実感してもらうことにした。今年もシダレウメで実践して(剪定クズを活かして開花期を3倍近くに伸ばして)いる。
だが未来さんはせいぜい週に1度の休日・水曜日にしかアイトワに顔を出せない。だから、私が前もってハナモモを剪定し、その剪定クズを3か所に分け生けて時差開花させておき、それを目で確かめてもらうことになった。
基本的に私は、花を生けるために草木を切るようなことはしはない。草木の手入れのために切り取ったものを、差し芽や生け花に活かすようにしている。だから、草木が動き始めた悪しき時期にハサミやノコを入れることもある。もちろんそれが、その草木の勢いをそぐ上で有効と見た場合に限るようにしている。
約束した翌朝のことだ。久しぶりに薄氷が張り、これが油断を誘った。その後、あれよあれよと思っている間に快晴が4日も続き、「シマッタ」と思った時は後の祭り。すっかりハナモモは2種共にその気になってしまっていた。
やむなく、まだほころび始めたばかりの深紅単色の方のハナモモに手を付け、枝を切り取って透かす剪定を終え、切り取った枝を「もしや今からでも」との願いを込めて3カ所に分け生けた。だが、願いはかなわないことが2日もせずに分かった。
窓際で生けた分はもとより、最も日陰に生けた分も一緒に開花したわけだ。本来は、蕾が固い間に屋内で生けた剪定クズは温室効果で1週間ほど早く咲き始め、木陰で生けた分は正常より1週間ほどほころびるのが遅れ、開花期間を3倍ほど長く楽しむ魂胆だった。だが、いったんその(開花する)気にさせてしまうと手に負えないことを思い知らされた。
この「その気にさせてしまった植物の力」は、防草土舗装の時期が遅れたことで思い知らされていたが、その想いを新たにした。
未来さんとは知範さんがやって来て、3人で庭仕事に取り組む予定日が近づいた。前もってその日が「終日の雨」と分かった。だから、この失敗はさておいて、異なる活かし方を思案した。そこで、柑橘類に被せてあった寒冷紗が、連日の好天でスッカリ乾いていたことを思い出し、「段取りの大切さ」をテーマに取り上げることにした。
早速庭に飛び出し、寒冷紗をめくり取り、パーキングに広げた。そして妻の手がすいた夕刻に2人でたたみ、収納した。「1日遅れて、雨に濡らしていたら…」と、語り合うことにしたわけだ。
翌日の話は弾み、気が付くと妻が軽食を用意し、運んで来るのが分かった。アッと言う間の数時間だった。今が旬のミツバをタップリ活かした即席のサンドイッチだったが、未来さんはレシピを妻から学んだ。
当月はもう2度、悪天候が幸いした。それは、下旬に未来さんが訪ねた24日の水曜日と、知範さんの来訪時の翌25日だった。朝から雨になった水曜日は、午後から未来さんを迎え、これから立ち向かう未来さんの未来を2人で推し量り、努力すべきテーマを考えあった。「アイトワに来ると、いつも勇気がわく」と言い残して彼女は去った。キット、自力本願主義で、自己完結を願っている人だろう。
翌日は、10時に知範さんを迎えたが、庭はすっかり濡れていた。だからまずPC作業に取り組んだ。この日は、かつてわが家の生活も取材して博士論文をものにした人だが、お茶の時間を一緒に過ごすことにした。
ご主人の都合でアメリカ生活が長く、その間の素敵な大学生生活の経験が、今に結び付いていた。「あなたの英語力では歴史はむり、地理なら学べそう」と助言され、地理を選んだという。それが環境問題や循環型社会に目覚めさせ、エコトピアを追求し始めることになった、とおっしゃる。彼我の教育の在り方の差異を感じざるを得ず、私は心密かに、わが国の行末をとても心配しはじめた。
わが国は「国を都合」を刷り込む傾向にある。たとえば、わが国のすべての教科書では、竹島や尖閣諸島はわが国の固有の領土、としか記していない。本来は、関係国の主張を併記して、考えさせ、いかにあるべきかを考えさせるのが教育だろう。
アメリカでは多くの場合、さまざまな疑問を誘い、質問させ、教師はあらん限りの事実(と信じる所)を開陳し、自ら調べさせ、互いの頭で考えさせ、未来を推し量らせ合い、未来に夢を馳せさせようとする傾向にある。だから、たとえば、女子学生に結婚相手の選択基準を問うと、「考え方」(の良し悪しを大事にしたい)との答えが返って来がちだ。
気が付くと、妻が側にやって来て、菜園で摘んだ晩期の様々な菜の花を示し、新メニューに挑戦する、と宣言した。ほろ苦くて、初めて味わう美味に舌鼓を打っている間に、庭の草木はすっかり雨粒を落したようだ。
食後、加藤さんは人形作りに戻り、知範さんと私は10分間の力仕事についた。泉の側まで、庭の随所に散らかっている使い残した石を運び上げ始めた。そして「この石で」とその泉を源とするビオトープを補修する計画を告げた。前日、その泉に溜まっていた落ち葉掃除をしたが、1匹のザリガニを見つけたことや、いずれボウフラを退治させるキンギョを入れる予定も伝えた。
中旬最後の来客・AGUはいつものようにヒョッコリ訪れて、チェコやスロバキアを大好きにさせる資料を置いて帰った、という。幸いこの度は翌日の再訪がかない、両国をテーマにして話に花を咲かせた。この小さな2つの国は、1993年に血を見ずに、工業国と農業国として分離独立し、自力本願で異なる繁栄を目指している。
いずれイタリヤも、北と南で、工業国と農業国として分離独立したくなるのではないだろうか。こうした心の動きや兆候を実感できる旅ならしたいものだ。
下旬は飛び込みの来客も多かった。とりわけ、トルコからとおっしゃる素敵なご夫婦が印象深かった。環境問題に関わる学者夫婦のようで、「あのケーキセットを」と願っての再訪であったようだ。妻に呼び出され、庭案内を引き受けた。
官製10連休に入り、最初の来客は2人の女子佛教大生で、新旧リーダーの引き継ぎをかねていた。2年続きでリーダーが女子学生になったが、その2人が来訪し、過日切り取ったシホウチクの枝払いを済ませた。焼き芋を食べながら、10年以上も引き継がれてきたこの佛教大生の100回以上、延べ数百人を超える面々を振り返った。
そして、複数回にわたって来訪する若者の共通点に思いを馳せ、その期待に応え、「清豊」を手にする秘訣を身に付けあい、実感し合いたく思った。
2番目の来客予定は、あえてこの日の佛教大生の作業を切り上げる時刻に組み込んだ。そして、両者の希望と合意を得てあった。就職氷河期に何百分の1かの難関を突破して入社し、存分に力を発揮して、いわば卒業性のような心境で、Iターンした人だった。実は私も、商社は「卒業したような気分」で辞めており、今も仲良くしている。
この来客と2人の学生に、互いに顔見知りになってほしい、だけではなかった。この人の相談事が「考え方」の差異が生じさせたトラブルがテーマであったので、どのような「考え方」が出来るか、するかで、人生を大きく変えることを4人で認識し合いたかった。
3番目の来客はリズさんの里帰りだった。彼女は自転車で予定より半時間早く着き、お茶の前に、体を動かしたい、と希望。だから、乙佳さん夫妻に運んでもらった土砂の活用に手を付けた。リズさんには、いつでも土砂を活かせるように袋詰めにしてもらい、私はイシミと一輪車を使って、2か所で活かし始めた。
袋に限りがあったので、土砂の作業から、薪仕事に移った。リズさんは、得意の薪割に。私はエンジンソーで、久しぶりに一帯を薪の海にしてやろう、と。
この間に妻は、買い物やリズさん好みの食事(まだ若すぎたが、スナップエンドウを初使用)造りに携わったり、中庭の一角にある苔庭からタンポポやオオバコなど(私があと回しにした分)をすっかり抜き去り、願い通りの姿にしたりして過ごした。
そして当月の最後は、愛犬十兵衛を連れた奥田祐斎さんだった。祐斎さんと言えば、黄櫨染(こうろぜん)の再現で有名だから話題に出すと、案の定TV朝日で紹介されていた。
5、終日1人で庭仕事に専念できる日をかなりもうけることができた。それは新兵器の恩恵に被ること大だった。激しい作業の間にしばしば除草を挟んだわけだが、新兵器の装着で腰の疲労感が苦にならず、心身ともに除草がよきインターバルになった。
しかも、新兵器を腰に巻くときの心地よい「キリっと心が引き締まる」気分だけでなく、解くときの解放感を体感した。コルセットを用いていた頃の女性の感覚だろう。
2度目の菜の花弁当は庭に運んでもらい、この日はネギと第2次ブロッコリ-の畝の整理もした。今年は、畝の仕立て直し方を、新しいやり方に替えたおかげで、第1次の夏野菜5種の畝の準備を(中旬には済ませたいと)願っていたが、なんとか(4/22に)済ませられた。
そして、ひと雨の後に苗の植えつけも終えた。しかも、ナスはとりわけ水分を好むので、本格的なマルチングの前に、ハクモクレンの花びらをつなぎのマルチングとして畝に被せ、有効に活かすこともできた。
ツタンカーメンのエンドウの花がツートーンカラーだが17日に、ケシは出張中に咲き始め。スナップエンドウの収穫が23日に始まり、その初物は天ぷらになった。
このたびの畝の仕立て直し方は、腐葉土を鋤き込むのではなく、苗を植えた後で、マルチング材として被せる方式を初めて採用した。これがうまく行けば、これから一石三鳥が狙えることになる。まず、耕すおりに、腐葉土が被せてあると小さな石ころやカタバミの球根を探しにくいが、簡単に見つかる。だから、この度は畝の側に、幾種ものガラ入れを用意して仕立て直しに当たれた。
小石を見つけ、しゃがんで拾う作業は良きインターバルになるから、長時間にわたって作業を楽しめる。それだけに、ウグイスなど小鳥の鳴き声を楽しみながら、菜の花畑の側で昼食をとる一時は、無常の一時に感じられた。
次に、この方式だと腐葉土を取り出す作業を後回しにできるから、多くの畝を短時日で仕立て直せた。おかげで、雨の予報を読み、手早く5種の苗を植え付けることができたわけだ。しかも、腐葉土を前もって載せておく必要がないわけだから、耕す直前まで冬野菜を残しておけることになり、第2次の菜の花畑を長い間楽しめるし、少し開花がずれるダイコンの白い花も一緒に愛でることもできる●55。
さらに、腐葉土をマルチング代わりに活かす作業は、丁寧さを求められるが軽作業だから、老体でも続けざまに行える。他方、腐葉土をかき出し、一輪車に積んで畑まで運ぶ作業は、畝を耕す作業と同様に老体には重労働だが、知範さんは続けざまに行えた。だから知範さんと手分けしたおかげで、小1時間と要しなかった。しかも、知範さんには、腐葉土からカブトムシの幼虫が沢山出てきたと言って喜んでもらえた。
段取りが変ったので、ケシの花がシーズンに入るのと堆肥の山が花盛りになるピークに加え、時々刻々夏を迎える畑の姿を重ねたような庭になり、なぜか心がウキウキした。
その後、腐葉土を被せた畝の間の溝に、日々の庭掃除で出る落ち葉を敷きつめ始めたが、これをもって(土に直接太陽光をあてさせない状態が)夏野菜の畑の正常な(マルチングは、野草の発芽も妨ぐ)姿、と見ることにしている。
これまでのハクモクレンは、白い花が見事な2~3日と、「これもよし」とする花びらのじゅうたんを加えても、わずか数日の余禄であった。
このたびは、落下して乾いた花びらに、つなぎのマルチングとしての役目を与えたので、もう1つの余禄を見つけたことになり、とてもありがたいことだ。
ハクモクレンの主たる役目(植栽を決めたわけ)は、夏場の完全自動(ボタン操作も不要の)簾の代わりをさせる(夏は木陰に、冬は落葉し自動的に日を通す)ことだが、未だその恩恵(ゆったり過ごす時間)には浴しておらず、寝椅子が空き家になったままだ。いつしかこの寝椅子で、父のように午睡もしたいが、する気になれない体と心(体を動かしたいことが一杯)のままでポックリあの世に行きたい、とも思う。
それはともかく、これから、バケツ4~5杯分のハクモクレンの種殻拾いが待っているし、その後は膨大な量の落ち葉掃除が控えている。これを面倒と見るか否かの問題だ。
6、数少ない幼友達の1人が死んだ。小中を通して轡を並べただけだが、なぜか親交が深かく、この15年に限って言えば、最も多く出会い、語らった学友が、死んだ。
農家の息子だったが、中卒で、地元に密着した事業を立ち上げ、地元の名士になった。中学時代の恩師を囲む集いを呼びかけ、泊りがけの旅では、なぜか私と同室を部屋割りし、持病を晒した。表向きの地元の名士としての彼とは関わらなかったが、よく相談ごとで訪ねてもらえた。その折には轡を並べた9年間と同じ彼の姿に戻った。彼と私の共通項は、早くから終の棲家を構えたことだろう。それだけに、淋しい。
6日の深夜、悲し気な動物の声を2度、3度と聞いた。「小鳥の悲鳴だ」と、目覚めた妻に話しかけた。翌朝、「その正体」に違いない、と思いたくなる場所でコジュケイの死体を、妻が見つけた。自然死だろうが外傷はまったくなく、「もしや」と思った。
これがキッカケのごとく、当月はさまざま生や死と触れ合うことになった。久しぶりに三崎さんから届いた鳥の便りは嬉しかった。三崎さんによれば、福島の原発事故の翌年は渡り鳥が少なったようだ。その後、「小倉山一帯は、環境整備で多くの木が伐採されスケスケで鳥が安心できそうにないし、観光客が騒がしく、鳥の数が少ないまま」らしい。こうした状況下で、珍しい渡り鳥を見かけたとか、どなたかが逃がしたに違いないとの小鳥の写真を届けて下さった。後者は中国の小鳥で、結婚式に使うソウシチョウ(相思鳥)とのこと。ペットとして持ち込まれ、逃がしたのか。
シカの侵入がまたも始まり、シカの食害対策も凝らさざるを得なかった。残り少なくなったギボウシをいかにしてシカから守り、再生させるか、思案が始まった。柑橘類から寒冷紗をめくり取っておきながら、シカの食害を避けるために新たな囲いが求められた。
モンシロやキチョウが乱舞し、タテハチョウも飛来する季節になった。
トカゲに次いで、カナヘビも姿を現したが(23)、まだヤモリは活動を始めていない。もうすぐ、屋内で越冬させたイモリを春バージョンの棲み処に移さねばならない。そのうちにヤモリも、夜ごとに活動し始めることだろう。
妻は、初めて目にしたという蝶の羽を拾い、私に見せた。人形のどこかで活かしたい、といって取り置いた。なぜか私もその前に、写真に収めておきたくなった。その後、アイトワの長年のファンだった女性の絵本が届けられ、チョッと不思議な気持ちがした。妻が目立たぬ「一片の蝶の羽」に惹きつけられた時の様子を思いだしたからだ。
この稲葉ゆうこさんの絵本は、彼女が生前、アイトワでゆっくり過ごした空間で、来店客に手に取っていただきながら、ゆったりと過ごせるようにしたい。
コジュケイの遺体はしかるべきところに埋けた。この初夏にでも、甘酸っぱい木の実となってよみがえり、仲間の小鳥についばまれるに違いない。
メダカを入れた水鉢の掃除を、今年から時期と方式を改めて始めた。まず、底の泥を減らすだけに留め、水替えはイトトンボの幼虫が羽化した後で、と考えている。妻はこの小さなヤゴ(幼虫)を初めて見たようだ。
そこで。『未来が微笑みかける生き方』「AI時代に備える12のヒント」から