未明に小鳥のさえずりで目覚め、庭に出て、日々うっそうとする緑に圧倒され、心地よい水温での洗面。「今日も元気だ」と日の出を待つ。庭で一仕事した後の行水も始まった。3次にわたったスナップエンドウの季節が終わり、タマネギの収穫を終え、サルの出没に泣かされ、第1次のインゲンマメが実を結びはじめた上旬でした。
月初に冬青の花を観る機会に恵まれ、3日にヘビと遭遇し、カミナリチョウ(アオスジアゲハ)をやっと迎えた。4日、通院(年に1度の24時間検査結果)から戻ると、妻は円形花壇の仕立て直しの最中。私は混合レタスやチマサンチェなどの苗床づくりと、追加の中国ホウセンカの種まき。5日、未來さんと野菜の種採りと剪定クズさばき。6日、CIシダレウメの枯れ枝除き。慈雨に恵まれた7日は岡田さんを迎えPC作業。この雨で夏野菜がグンと伸び、オクラやバジルなどの苗も順調に育ち始めました。翌日は素敵なアイデア持参の下村さんを迎え、PC作業。そして9日、仏教大生5人(3回生の女子リーダ-が、初参加の1年生4人を引率)が来訪、幾つもの作業を片づけ、3種のネギ坊主を紹介。そして10日、楽しいインタヴューを受けた後、2人の知人が所望する睡蓮の株分けをしたり、歯科医院を訪ね、更新したブリッジを装着してもらったりしました。
この間に、「これが最後」と2度、覚悟したことがあります。まず、妻のパスポートが切れており、「ついでに私も」と10年ものを更新する時でした。次いで、3代目のミニヤシの鉢をつくっていた時のことです。心不全指数が上がり、薬が増えたり、前歯がポロっと欠けて、再び歯医者に走ったりしたからでしょう。ですから、環境保全に関する活動では、居住地域だけでなく他所にも出掛け、関連インタヴューにも丁寧に応じました。
中旬は、雨日和の長勝鋸訪問から始まり、ベトナム旅行中のダナンで過ぎ去りました。この出発前の5日間と、ベトナムでの日々は何もかもが一転です。前の5日間はハードで多様な庭仕事、4件の来客、そして大事な外出など(その間に、一服の清涼剤のごとき一時が数度かあったとはいえ)キリキリ舞い。対して、ベトンムは、猛暑でしたが、13人の旅行仲間の解放キンギョの糞に徹し、ノンドリでした。
キリキリ舞とは、CIシダレウメの大剪定や留守を読んだ様々な畑仕事。あるいは、もしや留守中に大雨がと、エンジン式排水ポンプを妻と試し使いなど。大剪定では通りがかったトルコからの観光客が興味深かげでした。畑では、乾き上がった採取用冬野菜を温室に収納。ネギ畝の更新。シカクマメやモロッコマメなどの畝づくり。コイモの株やコンニャク芋の移動。ヒシなどの水鉢の手入れ。あるいはアスパラガス畑の改革など。
1週間の旅を終え、ダナンから関空に着き、「涼しい」が第一印象。ハッピーも大喜び。泉はほぼ枯れ、庭はカラカラだがナスも元気。妻の奮闘を偲びました。妻好みに沙羅が落下。ノバトも恋の季節。昼食の後、妻と鋸の祭典に駆けつけて「ヨカッタ」。夜は、太陽が沸かしたわが家の風呂と妻の手料理。待ち宵草の開花を確かめてバタンキュー。
当月最後の1週間は、3つの約束(20年ぶりの友人の来訪。ある集会に参加。そして知範さんとPC作業)を楽しみ、採りたてのキュウリなど4大夏野菜に次いで、ナスも楽しむ日々になりました。夜は、新聞や郵便物の整理。この間のトピックスは、未来さんと冬野菜などの種の採取や囲炉裏場の剪定クズさばき。翌日は雨と知り、妻と泉ざらい。雨間は電動砥石の補修。妻が晴れ間を見て、ブルーベリー畑の草刈りに取り組んだので、釣られてブブラックベリーやゴーヤの世話、そして第4次インゲンマメの苗づくりなど。
~経過詳細~
2か所で育てたタマネギを収穫し、巨大ニンニクのネギボウズを半分近く刈り取った。これが月初の畑仕事。この巨大なネギボウズを、妻は生け花に活かし、その後、義妹にもらったニンジンの花と一緒に屋外にデヴューさせた。2度に分けて収穫した新タマネギは、さまざまな料理や薬味などに大活躍し始めている。
久しぶりに「立派なタケノコが出た」と気付いて喜んだが、その「収穫を」と夕刻にシャベル片手に出直すと、ことごとく何者かに食い荒らされていた。昼間だから「シカの仕業、ではない」「まさか昼間にイノシシが…」とも疑ったが、案の定サルだった。
「ボリボリッ」という音がしたので、その源をたどると、サルが太いタケノコに登って、軟らかい部分にかじりついていた。妻に、その旨を教えるに戻ると、被害状況の点検を、と飛び出したが、ニコニコしながら小走りに戻って来た。「孝之さん、子ザルが、タケノコを小脇に抱えて逃げてゆくの」と、その真似をして見せた。今年も、タケノコのまともな収穫をあきらめた。サル出没時期に入ったわけだ。
仏教大生を迎えた日は、ノビルのネギボウズは新芽を吹いており、巨大ニンニクのネギボウズは咲き始めていた。そこで、植物の戦略の一端を紹介した。巨大ニンニクはネギと同様に、種を結び、種を一帯にばらまく。だが、野草のノビルは、「発芽させた上で、ばらまくんだ」。ヘビで言えば、「卵胎生のマムシが、腹の中で孵化させ、小ヘビにして出産するがごとしだ」と、話した。そう話しながら心の中で、ネギやノビルなど動くことができない植物は、どのように(動物に介在させるなど)して子孫を遠方に広げるのだろうだおうか、との想いを馳せた。
わが家の5大夏野菜は、キュウリ、トウガラシ、トマト、インゲンマメ、そしてナスだが、この夏は、インゲンマメ、トウガラシ、キュウリの順で本格的収穫期に入った。
インゲンマメは例年、この時期に実を結びはじめ、スナップエンドウの季節に代わって食卓を彩り始める。その第1次分は、ベトナム旅行前に花盛りだった。帰宅すると既に収穫が始まっていたし、1次の奥隣りで育つ2次も収穫期を迎えており、その初成りと一緒に味わうことになった。さらに、3次(この畝の肩では中国ホウセンカの苗も育てている)も蕾を付け始めていた。要は、1次と2次の間隔が短すぎたわけだ。そこで、温室で、急ぎ第4次の苗をポットで育てることにした。
なお、ナスの初採りは月末で、5大夏野菜がやっと出そろっただけでなくツルムラサキとセロリの収穫も始まった。
このたび、今年度の仏教大生を初めて迎えたわけだが、皆さん頼もしいし、個性的で魅力的だ。今年のリーダー・石原千夏さんは、4人の初参加者を見事に導いた。そしてこの4人は7月も全員参加、と伝えて来た。これは新記録だ。その日程調整の都合だったのだろうが、新顔の1回生1人を交えた5人が、2日に分かれて訪れる。だが、リーダーは不参加。この月に2度の来訪も初めてのこと。
樹木との嬉しい触れ合いにも恵まれた。それは、冬青(そよご)という名を3男に与えた親友から、月初に冬青の花が届けられたことから始まった。
しげしげと清楚な花を眺めながら、向こう一カ月の予定に思いを馳せたが、その時は、樹木作業は視野に入っていなかった。1週間の海外出張予定と、梅雨入りが遅れていることが気になって、なぜか旧暦の水無月に思いをはせながら畑仕事に気がせかれていた。
3日、カミナリチョウ(ネギの開花期になると即座に飛来するアオスジアゲハ)がやっと飛来し、安堵。ネギの花はほぼ咲き終えていた。4日、年に1度の心臓の24時間検査結果をうかがう日で、その悪化を知り、気候だけでなく体質も悪化の一途、と実感した。帰宅すると、妻は円形花壇の仕立て直しの最中だった。
私は急いで着かえ、混合レタスやチマサンチェなどの苗床を温室でつくり、畑では追加の中国ホウセンカの種をまいた。1週間のベトナム旅行に出かける前に、それらの苗をポット仕立てにまでしておくなどして、留守にする空白期間をうまく活かしたかった。
翌日、未来さんを迎えた。幸いなことに、チェリートマトが1つ熟していた。そこで「食べてごらん」と勧めた。初成りのトマトを自ら採って賞味するのは初めてだろう。初成りに良き役回りを与えられた。2日後から、私たち夫婦は賞味。
この日、未来さんと、2つの作業に当たった。袋を被せて小鳥から守った種用野菜(袋ごと温室に取り込んであった)をパーキング場にもち出し、ブルーシートの上で、ムラサキハナナ(諸葛菜)を含め6種の採取作業で始動。もちろん、種を未来さんと採取した後の残滓は、畑の畝間に敷いた。こうしておけば、ノバトが落ち葉拾いかのごとくに種をついばむが、その様子も見てもらった。
次いで、囲炉裏場に移動し、築き上げてあった剪定クズの山をさばいた。これが、庭の樹木に関わった初仕事といってよい。
別れ際に、巨大ニンニクを1本引き抜き、手土産にした。「このネギボウズを(初期に)切り取っておかなかったから」種づくりの方に精力を割かせてしまい「肝心の根塊が貧弱になった」ことを説明した。根塊の収穫を目的にする場合は、小さなネギボウズができたところで切り取ってしまう。
後日、花を咲かせて種を結ばせてしまった分と、花を咲かせる前に切り取って花材にした分(中央)を同時に収穫し、その歴然たる差をみた。もし、ネギボウズが出来てすぐに切り取っておれば、本来(?!?)の巨大な根塊ができる。
その後、商社時代の仲間からから贈られた退社記念樹(CIシダレウメと呼び、短大引退時の記念樹の方・同じく枝垂れの紅梅と区別している)の枯れ枝を(切り取って)透かしてほしい、と妻にかねがね願われていたのを思い出し、実施した。
それがキッカケで、旅に出る前日に、下部の太い枝も切り取る大胆な剪定を思いついた。その2本の太い枝の下ではサンショウやアジサイなどが育っていた。だから、1本のロープを取り出し、オガ屑は落しても、太い枝は落さず、下の木々を傷めない手法を久しぶりに用いた。鋸を入れ始めると、サンショウの葉の上に、紅梅の木のオガ屑が降り注ぎはじめた。その旨を子器(内線)で妻に伝えると、飛び出してきて、大喜び。
こうした「喜びの波長」は伝播し、ヒトを惹きつけるのだろうか。この木から門扉まで10m以上も離れているが、通りがかりの観光客がドカドカっと踏み込んで来た。トルコからのご一行だった。彼らは、オカ屑の彩りには無関心で、1本のロープの活かした太い枝の切り取り方に惹かれたようだ。
ダナンから帰宅後のことだ。知範さんに過日、上部を切り取ってもらった蜜源の木(背丈を3分の1に固定したくて4月に手を入れた)を点検した。見事に発芽しており、「うまく行きそうだ」との期待を膨らませた。
この日、知範さんは素敵なアイデアを持参。それは、牛若丸でも知られる鞍馬山で、最近関わったという(倒壊)樹木の年輪を観て、過去の様々な社会事象との相関関係に興味を抱いた丁寧な作業だった。もちろん私は、かつて日本人学者が、樹木の年輪や花粉をあてにして古代の事実を特定する術を思いつき、国際的に評価された事例を紹介した。紹介しながら、知範さんの発想力と視点に感心させられ、夢を膨らませた。
月末に、やっと梅雨らしくなったが、その雨間を活かす作業にも取り組んだ。妻がブルーベリー畑の下草刈りに挑んだので、私も参画したのが始まりだ。
引き続いて妻は、柑橘類畑に手を広げた。そこでは、柑橘類の木々の下で数本の茶の木とウコギが、地面ではフキを育ててきた。加えて、この小さな果樹コーナーではいつしか、野生のタラの木がたくさん茂るようになった。タラの芽が好物の私は茂るに任せていたが、棘だらけの野生のタラの木を妻は好まない。やむなくこのたび、妻の要請で、その半数余を切りとった。切り取りながら、私は内心「シメタ」と思った。今年は、タラの木の背丈を低くして、その芽を楽に収穫できるようにする年だったからだ。「根元まで切り詰めても、タラは芽を吹くのか否か。確かめられそう」と、喜んだわけだが、妻も喜んだし、果樹園もスッキリした。
この後、今年植え付けた2本のブラックベリーの周辺の手入れもした。
10年ほど前に、浴室用の装飾鉢(の1つ)としてミニヤシを選んだ。その後、この鉢変えを3度にわたって実施しながら、風除室のグリーンとして育ててきた。おりしも、喫茶店の冬休みが明け、カフェテラスの自動排水ポンプの配管を隠す背丈ほどの「目隠し」が必要になり、移動させた。
その後のことだ。「1晩しか忘れていない」というが、この寒さに弱いミニヤシに霜よけを被せることを忘れ、すっかり傷めてしまった。やむなく、個離庵で冬越しさせていた別の鉢植えを取り出して来て、交代させた。
実は、別途ミニヤシを浴室用装飾鉢の2代目として用意してあった。それも既に、随分立派に育っていた。もう一度鉢替えをして「あと5年もすれば、『目隠し』用に活かせるだろう」と思った。そこで、新たに、3代目のミニヤの鉢を用意することにした。と同時に、初代の分の土替えもして、『目隠し』鉢として蘇生させることになった。
これらの3つの鉢をうまく管理すれば、向こう10年やそこらは配管隠しには不自由しないはずだ。
この3代目を用意してい時のことだ。「これが、ミニヤシを育てる最後になるだろう」とフト思った。これも、パスポートの時と同様に、年に1度の心臓の定期検診で心を新たにできていたオカゲで、小さな1つの覚悟にできた。
この度、パスポート(1年近くの有効期間を残していた)を更新した。実は、今年は2人の素敵な医師と、別個に、海外旅行計画を組む機会に恵まれた。その一方に、妻が同行することになった。そこで、妻のパスポートを調べたが、「更新を」となり、「ならば私も一緒に…」となった。たとえ1日でも有効期限が1年を切っていたら、残余期間を犠牲にすれば更新可能、と分かったからだ。
ここで、10年ものにするか否かが問題になった。妻は「私は1回限り、でいいの」あとは、「この庭で、好きなように暮らしているのが一番だから」と言い張り、チョッと手間取ってしまった。
結局、5年では中途半端、10年ものを、と主張し、主張しながら、ならば「これが最後の…」にできる、と思った。
こうした間に、幾度かの一服の清涼剤のごとき一時に恵まれている。その1度は冨美男さんの来訪で、艶やかな花を届けてもらえた。
次は、未来さんの「何か、(お手伝い)することがありますか」との電話で、「なんぼでもあります」と返事した。先に、未来さんにはカメリアの剪定をしてもらっていたが、その花ガラを取り去ってもらうことにした。この花ガラを妻は「リースづくりに活かしたい」と、取り置いた。
この日も、彼女はメモ持参だった。花ガラを取り去っておけば(種を結ばせなければ)、次年度の開花に勢力を割かせ、花着きを良くする、と教えると、メモを取り出した。
残りの2件は、まずカエル。さまざまな水鉢でカエルが棲み分け始めたことに妻が気付き、教えてくれた。次はイモムシ。きれいなイモムシを鉢植えの柑橘類で見つけた、と見せに来た。このイモムシは、頭などに触れて危険を知らせると黄色い角を出す。そうと知った妻は大喜び。葉っぱが沢山あるダイダイの木に移住させ、それぞれに角を出させたようだ。
4)一昨年は、ネギの畝を大幅に増やした。増やしすぎだったと知った昨年は「丁度良い頃合い(の量)」を知る年にした。それは、収穫の仕方を工夫すれば、そのヒコバエを活かし、2~3年は苗を買わずに更新を可能にする量である。この度は、この畝の仕立て直しに取組み、ヒコバエを収穫し、新たな畝に植えつけた。このヒコバエの上部を順次切り取ってゆけば、ネギの端境期だが、薬味ぐらいは自給して余りがある。この畝ではアイトワ菜が勝手に芽生え、側の畝の溝ではゴボウが勝手に育っている。
コイモの畝を整備した。10株ほど育てようと願ったが、雨不足もあって、半分ほどを無駄にした。そこで、畑の随所で勝手に芽吹いた(掘り忘れたイモが芽を吹かせた)株(を掘り出して、それ)で埋め合わせた。
ついでに、不都合なところで芽吹いたコンニャクも掘り出し、移動させた。畑にはコンニャク芋も散らばっており、思わぬところから発芽する。時にはそれを大きく育て、自家製コンニャクを賞味することにしている。
他に、ホースラディッシュやアスパラガスなども育てており、ホースラディッシュは自生化をさらに進める。アスパラガスはこのたび、その畑自体をつぶすことにした。
その畑の一角ではゴーヤを育ててきたが、今年は連作を避け、カボチャを育てる一工夫(としてシカ対策)を施した。残る大部分のスペースをいかに活かすか、10年ほど先を見定めた上で決めたい。
こうした手も打って旅に出た。1週間の旅を終え、ダナンから関空に着いた。第一印象は「涼しい」だった。怖れていた大雨はもとより小雨さえ、留守にしていた間は降らなかったようで、庭はカラカラだった。だが、よりうっそうとした緑に迎えられた。
5)当月は2度も長津師匠にお目に掛かれた。最初は、雨空の下、鋸(のメ)が研ぎ上がった「竹切り用」を引き取りに出かけた時だ。下旬初日の午前だった。その時は、次の2丁のメ研ぎを頼むと共に、来たる23日に開催される「鋸の祭典」には「参加できそうにない」と断った。その日にベトナム旅行から帰宅する予定であったからだ。
長勝鋸から戻り、5日間のキリキリ舞が始まった。旅に出る前にケリをつけて置きたい、あるいは手を打っておききたい事が多々あったし、来客の約束も多かった。また、外出予定もあったし、久保田さんには人形ギャラリーの絵を取り換えてもらう予定もあった。しかも、ポロっと前歯が欠ける一幕まで生じたからだ。
前歯は、歯科医に即応願えたし、久保田さんとは、手作りの「ホウバ寿司でご一緒しては」との妻の提案があり、おかげでゆったりした一時にできた。20年余前に、ホウの木を植えておいてヨカッタ、と思った。
1週間の旅から帰宅。瞬時に妻の頑張りのほどを理解した。モクレンの1万個近い種房が落花し、拾わなければならない時期だったが、片付いていた。ヒシなどの水鉢には水が満ちていたし、温室の野菜の苗も萎れていなかった。畑では、虫害が心配なナスも元気にしており、虫取りにも精を出したのだろう。ハッピーも大喜びだったし、手入れが行き届いた苔むす中庭では、沙羅の落花が長年の妻の願いをかなえていた。
昼食の後、妻と鋸の祭典に駆けつけて「ヨカッタ」。初見の道具にも触れたし、長勝型大鋸(オガ)のクズ(屑)を目の当たりにできた。
西洋式の「押して切る」鋸の実情も知り得た。
長津勝一師匠に、押して切る鋸や、押して削るカンナ(鉋)について求評。和式の引く方式に比し、決定的な利点を指摘し、西洋式に軍配を挙げた。もちろん「ただし」がついた。「なるほど」と納得し、未来のノコやカンナのありようを推し量った。そう遠くない将来、「押して切る」方式と、長勝鋸の研ぎ方が合わさって、世界の鋸の基本になるに違いない。妻もそうと気付いたようで「私にも…」と手を出し、長勝型の「押して切る鋸」で極薄(2mmほど)の木切れを作って見せた。
この師匠は天から注ぐ目のごとく等間隔で、少なくとも大工や杣師の道具に関しては評価できる人のようだ、と追認し、心が和んだ。
帰宅後、夜を待って、すでに開花期に入っていたマチヨイグサを眺めに出た。
翌朝、気付いたことだが、1株のフヨウを妻は見過ごしたようで、恒例の(フヨウに必ず付く)虫に好きにさせていた。
「(餌が豊富)だからこそ…」だろう。庭では小鳥が賑やかだったし、カマキリの子が狩を始めていた。ノバトが独特の呼びかけで恋の季節だと教えたし、のろまのマイマイが、牽牛と織姫を連想させる位置までたどり着きつつあった。また、常は身を隠していて急には身を隠せないツチビルが、白昼堂々とラランデブーの最中だった。こうした情景がのびやかに繰り広げられる庭にこそ、私は小宇宙を想う。
6)当月最後の1週間は、奇妙な天候だった。「このまま、空梅雨になるのでは…」との心配から始まったが、一転して「梅雨らしい雨」を喜ぶ降雨が続き、やがて「ボツボ
ツ降り止んでほしい」と願うはめになった。幸い、20年ぶりの旧知の友は、15人の仲間を連れて前半の晴天時に来訪、26日の午前だった。
翌朝、ニュースで「明日から雨」との予報に接し、「ならば」と、妻の手を借りて泉ざらいを決行。その夜から強い雨が降りはじめ、翌朝には泉は元の姿を取り戻していた。
よく雨が降った。その間に3度ばかりの雨間に恵まれ、なぜかその都度妻は草刈りに出た。曇天の下、妻につられて私も草刈りに取り組み、予期せぬ成果をあげた。タラ
の木を大量に切り取ったあとのことだが、雨の切れ間にピッタリの畑仕事を思いついた。
2種のゴーヤ(畝で育てている分と、勝手に芽吹いた分が、共にぐんぐん伸びかねないので、それなり)の世話を思い付き、手を打った。
その間にも雨が降り出すと温室に逃げ込み、第4次インゲンマメの苗づくりに取り組むなど、ハッスルした。
こうしたハッスルは、この間にあった珍しい1日(25日火曜日)のおかげかもしれない。妻は友人のお呼ばれ応じてお宅を訪ね、私は1人で留守番をすることになっ
た。こういう場合に、いつも妻は一段と丁寧になり、オヤツの用意だけでなく、留守番用の弁当も丹念に用意する。
だから私は、懸案だった電動砥石の補修に取り組む気になり、廃物(壊れたプラスチック製のミや古いTVのアンテナなど)を活かして再生。機能をアップさせ
た。
しかもこの間のことだ。手作りのあるシンボルやクッキーと共に、自宅の「ハーブガーデンで収穫」とのアーティチョークが届けられ、「父の日」であったことを知っ
た。アーティチョークが大の好物の私は、「ワインと…」と願った。
だが、帰宅した妻は「ドライフラワーにしましょう」といって取り上げ、キッチンの出窓に飾った。やがて花が咲き、次の日にはいずこかに消えた。
その後、ゲストルームで接客したときのことだ。アーティチョークは生け直されており、いずれはドライフラワーにされるのだろう、と思った。その時に、このアーティ
チョークにとっては「いずれが…」と、考えざるを得なかった。