短大時代に経験した忸怩たる思い出。幾つかの忸怩たる思い出があるが、その1つは1人の歯科衛生士が関わる思い出だ。もう1つは、治療より予防を、と標榜をした時のことだ。このたび、これらの忸怩たる想いにかられた理由が、ボンヤリとだが、見え始めた。そして余計にやるせない気分にされた。
歯科衛生士は、予防治療に取組めるし、出張治療も可能だ。そこで、老齢化社会が控えていたので「治療より予防を、と」標榜し、歯科衛生士の活動意欲と範囲を飛躍的に高めようとした。その折に、「そんなことをしたら、患者がいなくなるではないか」との声が返って来た。1人の歯科衛生士が関わる思い出も、同じく教育方針に関わる問題だった。
わが国は、私が学長時代に、わが国初の女子プロボクサーを誕生させている。その人・ライカは実名で、今では風神ライカと呼ばれ、伝説の人になっている。
コトは1本の電話で「オタクの卒業生ですね」と教えられたことで始まった。その知らせの元となった週刊誌が手元に届いた。ライカは、苦学して(昼間二交代制3部生で、3年間就学して)歯科衛生士としての国家資格を得た女性だった。彼女は、歯科衛生士としての職務に携わる傍ら、ジムに通い、無理を重ね、日本チャンピオンになった。しかも、初の防衛戦を控えており、かかりつけのドクターにストップをかけられていながら試合に臨むという。それだけに私は「夢をかなえた人」と見た。だが、この見方に異論をはさむ人が現れることになる。
学校に招いて「その苦労談などを在校生に聞かせたい」「それが、在校生だけでなく、ライカにとっても人生の励みになる」と私は見た。この私が事務局に出した学長要請は2度におよび、2度とも無視されたようで、いっこうに回答がない。これが私にとって最初にして最後の無視事件になった。
無視された事情が次第に明になった。まず、「あろうことか、女子プロボクシングなんて」であった。これには、私には大いなる異論があった。もちろん私も、なにかにつけて優先順位を付けがちだ。だからと言ってヒトサマにそれを強いる気持ちはない。
次の無視時に聞えてきたことは、「なんのために苦労してまで国家資格を取ったのだ」だった。もちろん、そう言いたい気持ちは分かる。だが、これにも大いなる異論が私にはあった。問題は、やがて聞き及んだ理由であり、これが最後に追跡をやめた。
その発想が理解しきれなかったからだ。しかも、この異を唱えている人も分ってきた。そこで、こうした異を容認する事務局であるから私の要請に応じない、と私は解釈し、反論を控えたわけだ。その姿勢や考え方は容認できず、それでは私が目指す校風は望めない。とはいえ、私の方が間違っているかもしれない。
少し詳しく言えば、就職させた「歯科医に申し開きがたたない」はまだしも、「よい歯科医に推薦し」て職を得させたのに「勝手なことをして」との、怒りにも似た感情を彼女に対して抱いていたことだ。
私にとって(高等)教育とは、各人が潜在能力に目覚め、それを夢にして人生をまっとうし、「これが私であった」と振り返りながら生を終えるための大事なキッカケ、その確かなキッカケの1つであって欲しい。だから、教員には「専門を通して人間を教えてほしい」とお願いし、任期を全うしたが、ライカ(いつしか、出身校名を名乗らなくなった)には申し訳ない気持ちが付きまとった。