亡き父を偲び。心臓の薬がまた1つ増えた。当日のわずかな検査時間の間に4連発の不整脈が生じたし、心臓と腎臓の検査数値も期待外れであったせいだ。
前々回は腎臓の数値までがガクンと落ちた。そこで、「腎臓の機能改善を」と願い、自慢の水「Pur Eau」をシッカリ飲みながら一カ月を過ごし、前回の検査に臨んだ。だが、そうは問屋が卸さなかった。大量の水を飲むことが心臓にはよくない、と知ったからだ。
だから今回は「Pur Eau」を控えてのぞんだが、心臓の数値は小康状態といったところで改善しておらず、4連発の不整脈が出た。腎臓の数値は、と気になったが、この歳になるといったん機能低下させるとそう簡単には行かないのだろう。たいして悪化はしていなかった、との結果だった。要は、そう単純でも簡単でもないようだ。
そこで9月には、さらに丁寧な検査をとなり、「不整脈の専門医にも」となった。だが、私の都合で不整脈の診断は12月になった。だから、帰途の車中で、今は亡き父の、病に倒れた時の心境に想いを馳せるだけでなく、妻にこのたびの現状報告をいかにすべきかと思案した。思えば父は、私が「水」の摂取の是非で悩んだ気分を「滋養」の摂取の是非で、つまり「忠ならんと欲すれば孝ならず」に悩んでいたことになる。
まず妻と、いつもぶつかる優先順位について、思案した。不整脈のチェックを3カ月も先延ばした、と妻が知れば、キット非難するだろう。だから、この詳細説明は、医師の多忙を理由にする、と決めた。私には空いた日が沢山あったが、医師が多忙で、すべて合わなかった。逆に、その医師にも幾つかの空いた日時があった。だが、ことごとく私は大事な先約を入れてしまっていた。妻は「命あっての物種」と言った考え方に走りがちだが、私は違う。「死んだ方がマシ」という事も多々ある。
それにしても、と思った。父は大事な時に病に倒れた。それも、当時は不治の病であった結核と、糖尿病を併発させてしまった。1941年のことで、太平洋戦争が始まっていた。父は経済的に絶頂期であったから、結核にとって唯一の治療法であった滋養の摂取と安静に取り組んだのだろう。おそらくその滋養の摂取が糖尿病を併発させたわけだ。