与した唯一の東洋人の蹉跌。明治維新を勇ましく思い、社会人になりたての頃は『坂の上の雲』を読みふけったものだ。だがその後、欧米を足しげく通うようになり、心を通じ合う友人を多々得られるようになり、その想いは次第に蹉跌に変じた。蛮勇に思えるようになった。それは明治維新前後に欧米と肌で接した人たちの背伸び、いわば劣等感がいざなった虚心の顕在化ではなかったか、と観るようになった。
欧米では、植民地政策の手じまいを考え始めていた。だが、日本は日英同盟の都合で第1次世界大戦に与することになり、戦争の甘い汁だけ覚えてしまう。ついには、欧米が永劫の平和を願って編成した国際連盟を脱退したり、「小日本主義」を構想する人を無視したりしてしまい、またぞろ与してはいけない相手と三国同盟を結び、ドツボにはまってしまった。要は、ババつかみのババをつかんできたわけだ。
それに似た状況に、突き進んでいるように思う。要は過去の延長線上にしがみつき、今の日本は時代遅れになりつつある。与してはいけない国の「参下」のごとしになり、国家国民の「生き方改革」が求められる時に、国家国民を参下として動かしよい「働き方改革」を叫び、一億総玉砕に突き進んでいるように憂うのは私だけだろうか。。