過去を振り返り。その最初は20年ほど前のことだった。片方の目の上半分が真っ黒になった。東北の出張先で、「ねぶた」のような民芸品展示室の見学中に生じた。しばしたたずんだまま片眼ずつ閉じるなどして、現実を確認。痛くもかゆくもなく、ふらつきもしない。案内人がいたし、何事もなくその人に従って車に乗り込んだ。相手も気付いていない。
移動中に、少しずつ目が旧に復する過程を観察。真っ黒になった上半分の視界が、明るい下の方からまるで故障したブラウン管が旧に復するかのごとく、視野が回復。天然色の世界が戻っていった。「人間の眼も、まるでコンピューターのようなものだ」と、思った。
帰宅し、この時の不気味と不思議の一時を妻に話したが、不安がるばかりでらちがあかず、なかった話であったかのごとくにごまかした。その2~3年後だった。また同じ症状が(反対の目であったように記憶するが)生じた。ところが、いつ、どこで、どのような状態の時に生じたのか、記憶がない。ただ不安がとてもこうじてしまい、「医師の手で現実の確認を」と妻に告げた。私は、「原因は脳の疾患であるに違いない」と見てとり、シミズ病院を指定し、妻の運転で連れて行ってもらった。かねてから脳外科で評判の良い車で15分ほどのところにある中規模の病院である。
事情をシッカリ報告し、CTスキャン(?)の世話にもなり、診断となった。幸いなことに清水院長に診てもらえた。レントゲン写真がパッと映し出された瞬間だった。院長は一見し、「キタナイ首だなあ」が第一声。私は思い当たるフシがあり、スッカリ安堵した。入社3~4年目のころだった。東京出張中の神田で、乗っていたタクシーが追突され、後続の運転手の顔を見る体験をした。乗っていた車の運転手が、車体の状況を点検し、「交番へ」となった。そこで、巡査から「むち打ち症」との言葉を教えられた。「病院での検査を」と相手の運転手にも勧められたが、仕事の予定時刻を過ぎており、気が急いていた。何らの異常を感じなかったので「大丈夫です」と応えてしまった。後日「シマッタ」と思っている。そのときを境に、首が異常に凝るようになり、今に至るわけだが、後の祭りだった。
清水院長は事情を呑み込み、脳に目を移した。「首と違うて、キレイ!」が次の言葉だった。「どこにも問題はない。キレイ」との診断だった。結局、目に何が生じたのか? 分からずじまいになった。院長には、これ以上取り合う気分になってもらえなかった
付き添ってきた妻は「眼科に」と、勧めたが、後追いの検査ではおそらく原因はつかめないだろうと見て、足をむけなかった。そのまま長い年月が過ぎた。
2~3年前だったと思う。アイトワ塾生の1人が網膜剥離を体験した。その決定的症状が「ブラックアウトでした」と聞き、私は2度も半眼ブラックアウトを体験したことを思い出し、話題にした。だが、何らの痛さもなかったことを告げると、話題は網膜剥離の激痛や、安静を要する症状に移ってしまい、らちが明かず、うやむやにした。
そして、この度の一連事となった。まず3度目の上半眼ブラックアウトを体験した。もはや慣れたもので「またか」としか記憶していないが、「右目であった」ことは記憶している。初回のように、己の眼が「(初期TVの)ブラウン管に似ているナー」と感じるような観察(凝視)をすることもなく、ジーッとしていたら10分ほどで回復した。ところが、数日もせずして「何じゃ、あれは?」が生じたわけだ。だからこの度はダイヤリーに、「昼 右目 ブラックアウト」と赤インクで記した。本気で原因を知りたくなった。というのは、これまでとまったく異なる症状であったからだ。上半眼ブラックアウトではなかった。
右眼を手で塞いだ。左の眼はハッキリ見える。離すと「おかしい」。左眼を塞いだ。「右目が異常」と分かった。「またか」「まてよ」「ちょっと違う」「不気味だナー」となった。右目の下半分はグレー色一色で、上半分はグレーの背景の中に点々と何かが浮かんでいる。凝視すると、立ちあげたデスクトップの有彩色のアイコンがチカチカと瞬いておおり、それが見ている間にぼやけ、あれよあれよと思っている間に輝きが遠のき、視界全体がグレー色一色の世界になった。ブラックアウトではない。「光は感受している?!?」と診た。
一時的にせよ「配線が切れたわけではないだろう」「ついに来たか」と思った。余生は単眼に、とさえ想いを馳せ、覚悟をする前に、不気味になり、反省した。
ほどなく妻が昼食の用意で戻って来た。妻は現在、事情があって眼科医にかかり始めている。だから「こんどは、いつ」と問いかけ、「何のことですか」と問い返された。
M眼科医を訪れる日を尋ねたわけを説明し、叱られた。「どうしてすぐに教えてくれなかったのですか」「だからいつも…」と来た。これまでの私の眼にゴミが入った時の(自然治癒力を信じた)処置の在り方への説教である。押し問答になった。
「何を言っているンですか、すぐお医者さんへ」と慌てる。
「それはいずれ、でいいンだ」
「いずれッて、いつですか」
「キミが今度と行く時の、ツイデでよい」
「それッて2カ月も先ですよ」
こうしたやり取りのおかげで、「不気味だナー」との想いは次第に収まり、「あの時の妻は、どこまでの覚悟をしていたのか」とフト思った。