責任感だろうか
今、私が若者であったなら、暴発するか、世をはかなんで死ぬか、あるいは引きこもっていただろう。
私が若者の頃でさえ、このいずれかに、しばしば陥りかけた。なんとかこらえたのは、日々世の中が豊かになり、誰しもが未来への可能性のようなものを描けたから。
やがて、その未来への夢の先に、限界を見てしまい、落ち込んだ。夢や可能性を疑い始めた。何かがオカシイ。
身の回りから、あれほどいたタニシがいなくなった、ホタルが舞わなくなった。都会が輝きを増すにつれて消え去るものが増えた。世界では熱帯雨林まで問題になり始めた。
最後にドジョウを見たのは30歳のころ、1968年頃だった。大雨で、まだ地道だった通勤路が冠水し、ドジョウが2匹、水たまりにひそんでいた。
その後、みなが「消費者」と呼ばれるようになった。消費者は王様と叫ばれるよういなった。そのころに「集金システム」という言葉を思いついている。自動販売機、ファーストフード、原発はその親玉だろう、と疑った。
工業社会は破綻する、と睨んだ。古代文明がみな消えたように、この文明も早晩、歴史になる。急いで次のシステムを、そして次のパラダイムを構築しなくては、と気が急いた。
この想いは工業時代に次ぐ時代、「第4時代」を発想させた。「清豊」という生き方を思いつかせた。「つぶす喜びよりも創る喜びを」と叫び始めた。
やがて、「地球温暖化」が叫ばれ始めた。消費税が誕生した。気が付くと、貧富格差が叫ばれていた。「案の定」だ。「自然ドロボウ」という言葉を思いついておいてよかった。
「清豊」の生き方は、「1つの地球で済ませたい」との想いと、手のぬくもりや創る喜びが誘う生き方だ。「集金システム」の網から遠ざけ、「自然ドロボウ」の機会を減らさせ、「第4時代」を体現させる生き方だ。
その原型は、日本にある。「侘・寂」のココロや、そのココロが華開かせたような「清貧」のココロにある。「清豊」は、そのココロと近代科学の成果を誘う時空だ。日本は世界をリードし得る近道にある。
その日本が今、道草をしている。「案の定」だ。「第4時代」を構想し、「清豊」という生き方のモデルを、創りはじめておいてヨカッタ。その気にさえなれば、誰にでもできそうなことに取組んでおいてヨカッタ。
小さくてもよい、ノロシを絶やさずに、これからも確かな灯火を保ち続けよう。きっといつか、大勢の若者が、勇気の種にするかもしれない。