朝に未来さんと妻の3人で生け垣の剪定を仕上げ。昼にメキシコからの嬉しい知らせが届き、午後は竹で下水道掃除具を作り、フキノトウを摘んだ。3月の始まりです。春に3日の晴れ間なしとはよく言ったもので、晴耕雨読の日々。上旬は(2度、お隣の常寂光寺を訪ねただけで、外出はなく)アイトワの庭宇宙にこもりっきりでした。
当月初のアイトワ流歳時記は2日のフキノトウ茶漬け。ルーチン作業は、3日の知範さんと月記原稿の引き継ぎ。その後、遅ればせながらスモモの剪定に着手。藤の徒長枝切り取り。ホウキグサの苗づくり。そしてアケビ棚の手入れを5度に亘って仕上げました。
他のトピックスは、啓蟄の5日。ウグイスが初鳴き。日差しと小雨が小1時間ごとに繰り返す中、知範さんと藤原裕一郎さんは、過日中断したミニ舗装を仕上げ、サワガニの小径と命名。ボッタクリ注意の看板撤去。8日の第1次佛教大生来訪は、雨でお茶の時間に。妻は温室でテラスを飾るロッコウサクラソウの鉢仕事。翌快晴の9日、堀井先生一家が応援団人形を届けて下さり、その後5年計画のツツジの苗木植えとユーティリティーの屋根掃除。雨の10日は、ある郵便物の発送や、薪ストーブ用2つ目の椅子の修繕など。
この間、世は新型コロナウイルス問題で混沌。国民的啓蒙が必須の課題なのに、政府は逆に国民を混乱させ、免疫力を落すことばかりしている。要は、リーダーへの信頼感が不可欠なのに、それが根本的に欠けるがゆえの失態つづき。残念です。
中旬はパンデミック宣言で始まり、外出なし。でも、多々来訪者に恵まれました。今関先生が岡部さんと、予定通りに12日にみえ、旧交を温め、翌13日は、北大生の息子を伴って瞳さん一家が来訪、タップリ歓談。15日は4人の佛教大生を迎え、石畳道の防草土舗装が完成。そして画家の井上先生が写生会で10名余をご引率。17日は、知範さんに夏野菜用の畝を耕してもらい、私は妻の要望に沿う畑の整理。そして3人で子どものカラスヘビを観察。その夜から鬼の攪乱? 40度の熱。ベッドから離れたのは34時間後。
ウグイスが賑やかだった翌日、早速予期せぬ2件の来訪者。「事務所の仲間とハイキング」との福山さんと、十兵衛を伴った祐斎夫妻。喫茶店にしておいてヨカッタ。
下旬は、ニラ畑の除草と、2か所で防草土舗装の補修を仕上げましたが、また予期せぬ来店客。「ここ、森さんの…」と飛び込んでもらえたベティスミスの大島社長。「長男が北大に合格」し、別れを惜しむ家族がしばしの小旅行でした。喫茶店にしておいたオカゲ。
雨は15日来なく、26日まで晴天が続くとか。ナツメの芽吹きを願いながらエンドウマメの世話など多様な庭仕事に励み、その間に7つもの多様な、一喜一憂のエピソードが。また、遅ればせながら、昨年の南方中国歴史の旅の報告書づくりにも励んでいます。ちなみに、ナツメは指標樹。ナツメが芽吹けば、もう霜の心配がない。
庭仕事は、1本のユズの整枝で四苦八苦。2つの井戸枠花壇の恒常化。3種の挿し芽や挿し木。4種の鉢植え植物の土替え。5回に及んだハクモクレンの花びら掃除。そして畑などでの除草は数知れず。初のタラの芽摘みはこの間の25日でした。
エピソードは、妻のミニ骨折(20日)。あるクレーム。知範さんと野生動物のチェック。アオサギの襲来。わが犬歯の治療。そして25日に千野さんがヒョッコリ来訪で、パラダイムの転換や死について語らいました。そして雨の27日、妻と、『パラサイト』観賞で外出。
その後、知範さんに2度、未来さんにもカップルで2度、訪ねてもらい、知友の楽しいエピソードにも触れ、忘れ難い日々に。知範さんは貸農地に恵まれ、その見学も。若いカップルとは人生を語らい、月末に2人は記念植樹にも携わりました。
~経過詳細~
天の助けとはこのことだろう。25日の午後のこと。「千野さんがお越しで、ビールを飲んでおられます」と妻から内線があったが、その時の第一印象。
庭宇宙では、サンシユやサクランボの花が咲き、ミツマタの花がほのかな香りをふりまいていた。花壇に植えたクリスマスローズは勝手に交配し、自然の不思議を感じさせた。
世の中は月初めから、新コロナ感染症問題でかまびすしく、先進国は「浮足立つゾ」と睨んでいた。皆保険ではないアメリカを、チョッと心配した。だから、こんなときにこそ「アイトワらしい一カ月に」と願い、日々を自然体で活かそう、と心に決めた。
晴れの日はそれなりに、雨の日もそれなりに、庭宇宙で自然の摂理に基づき、日々を楽しんでみせるゾ、と心に決めた。だが、とても悔しい思いがこみ上げてくる。
内外から流れてくるニュースは、案の定、新型コロナウイルス関連ばかりになった。それも、工業文明化した国々の、豊かで、清潔そうで、近代化した都会が舞台のニュースばかり。それは、問題の本質をついておらず、うろうろと、より問題を複雑にして先送りしているだけ、と私には感じられた。工業文明がもたらす1つの錯覚。真面目に不真面目なことさせられている、との想いだった。
極め付きは東京オリンピックのテンヤワンヤ
そもそも。目には見えない放射能の一件で始まり
ついに今度は、目には見えないウイルスで頓挫した
大丈夫かな
放射能をブロックしている、で始まった東京オリンピック
目には見えないことをいいことに、コントロールしている、と嘘をついた
今度は、新コロナウイルスを制した証として、と煙にまく
大丈夫かな
放射能やウイルスは、共に人為的な自然破壊が災いしがちな自然現象
とりわけウイルスは20分に1度分裂し、その変異は、人知では御しがたし
100年に1度のことが、毎年のごとく、も無きにしもあらず
大丈夫かな
しかも人類は、未だ南北格差問題を抱えている
鳥インフルエンザや豚コレラを、押して知るべし
囲っているニワトリやブタは皆殺し
その感染源の野鳥やイノシシは御しきれない
自然と共生しているのだから
・・・・・・
人為と自然現象のイタチゴッコ
大丈夫かな
こうした気分にされていた矢先だった。千野さんの来訪。「一息付けそう」と思った。ほぼ3カ月ぶりの再訪は、ある読後感と、「ついては…」との打診を秘め持ってのお越しだった。テラス席で爽快に語りあった。
前回は、正月早々の、久方ぶりの来店だった。その時に、「これ! イイヨ」と『未来が微笑みかける生き方』を求めてもらったが、私には気づいていなかったことがあった。この人は1988年に拙著で公開したパラダイム転換の提唱を、「第4時代到来論」を、即座に受容してもらえた人だった。その目で、その後の世の中を眺めてのことだろう、折に触れて励ましてもらっていたことを思い出した。
このたびは、追加の1冊を求め、贈りたい人がある、とのこと。アイトワの書籍コーナに案内すると、「忙しいだろう」といって、店内から私はテラスに追い出された。1時間余の歓談だった。やむなく、中断していた庭仕事に戻った。3月も、既に25日が過ぎていた。「アイトワらしい日々」を過ごせていたのかな、と振り返った。「やはり」と、「パラダイムの転換」を提唱し始めた頃も振り返り、ちょっと悔しい気分にされた。
酔狂なことに、ウグイスが、ホーホケキョ。
1日の朝飯前、未來さんを2朝続きで迎えた。妻と3人で、カシの生け垣の剪定を済ませ、その剪定クズを始末する途上でフキノトウが出始めていたことに気づき、4つ摘んだ。これが「弥生」最初のアイトワ流歳時記・フキノトウ茶漬けに。妻と昼に賞味。
次の印象深い「弥生」の初物は、まずニラ粥。鬼の攪乱が生じた翌々日の19日。6食ぶりにまともに摂った昼の食事で、妻がかしわの肝煮に加え、フキ味噌と菜の花漬けを添えて、「これなら」と用意した。このニラと、菜の花漬けも、この春の初物。
このフキ味噌は、啓蟄の5日、妻がフキノトウをまとめて摘み、作ったもの。この日は、忘れがたい思い出と「流石は!」との爽やかな印象を幾つか胸に刻んでいる。
まず朝焼けに見とれた。次いで、ウグイスが初鳴き。10時に知範さんと藤原裕一郎さんが来訪。過日(セメントがなくなり)中断したミニ舗装作業に着手。午後は雲行きが悪くなったが、小雨をついて完成させた。これが、忘れがたい思い出に。
その日の昼食時だった。単身者の裕一郎さんは、単独で理学療法士として生きているが、その彼が持参の手作弁当に「流石は!」と感心した。
実はこのウグイスが初鳴きの日、妻と私は、裕一郎さんの、アメリカで学んだという施術を受けた。そして私は、医療費がとても高く、しかも国民皆保険制度ではないアメリカの、1つの事情に気付かされている。中流階級の多くの人も、緊急用保険しか持っていない人が多く、慢性化した病気は保険がきかない。おのずと民間療法にたよることが多くなると云う。中産階級で自己破産する人の多くが医療費問題という国だから、民間療法にたより、未病を願う人が多いようだ。
施術を受けながら、この日出来上がった幅45cm、長さ2m強の石畳部分に、私は心密かに「サワガニの小径」と命名し、夕食時に妻に教えた。
すると妻は、「大げさネ」とか「私たちにしか分からない名前なんて」と苦笑した。もちろん私は口ごたえせずに、「いまに見ておれ」との気分になっている。
「サワガニの小径」は、この庭の、つまり小倉山の裾部の一角を占めるこの庭の、北西の角部にある。この庭では一番の高台部で、山裾の一部を削って宅地化し、家を建てた。だから、この狭い隙間ができてしまい、湿気が多い部分になった。
もともと、「泉」と呼んでいた山水が染み出て溜まる、小さな池があったところ。そうしたところで土を動かし、削り取ったものだから、土手ができ、水路も出来たわけ。その不自然な手の加え方をした所を、なんとか自然な形で活かしたくて、打った手がある。
それは、この水路の活かし方と、一帯の湿気を水源と見る山水の確保策。水道が「止まった」程度のことであわてたくない、との思いに促されている。そのようなわけで、この水路を後年、ビオトープと呼ぶようになった。
それは57年前のこと。最初の小さな住まいを建てた時のことだ。サワガニやドジョウを何回かにわたって放ち、24時間(水質)監視員と名付けて棲まわせている。下水処理を庭の中で済ませる必要性に迫られたからだ。下水道が引かれた今も、このビオトープ一帯に、そのサワガニが世代を越えて生き残っている。
ここを水源と見る水の確保策は、1993年、27年前に具現化した。そのキッカケは父の他界。3度の食事を、母を交えて3人でとりたくなり、渡り廊下で母屋とつないだ。
実はこの年、父の命日2月24日にエゾヤマツツジが、例年になく満開になった。その時に、胸騒ぎでもしたのだろうか、目には見えないところに大金を投じている。地下80㎝のところに、土中の湿気を抜くために、穴の開いた暗渠を埋め込み、落差4mほど距離50mほど先まで導管を埋め込み、貯水槽につないだ。その導管の上に表土水を流し去る水路も設けた。ちなみに、写真の大鍋、311後に買い求めたステンレス製。イザという時に炊き出しをしたくて。だが、もうその体力はなさそう。
50mほど先に、直感を信じて、1.5トンほどの水を溜める貯水槽を設けたが、3日も待たずに(?!?)水が溜まり、祈る思いがかなった。爾来、この底をコンクリートでかためていない貯水槽は、水が切れたことはなく、キンギョを飼い続けている。
これまでは、中庭にある10ほどの水鉢や、鉢植え植物の水源に活かしてきただけだが、この間にさまざまな「学び」や「準備」をしている。
まず「学び」は、自然の逞しさ。このたびも、更なる防鳥対策が必要、と思わせられている。なぜなら中庭にまでアオサギが飛来し、水鉢のキンギョを狙う光景を目の当たりにしたからだ。「準備」は、棕櫚の木を植え、炭と砂を備蓄し、「これは」と思う形の傘立て(底に水を抜く穴がある)を幾つか買い求めたこと。イザという時は、貯水槽の水をろ過する装置に、と目論んだわけ。だが、未だ飲料水は「他力本願の水道」で済ませられている。
近年は、貯水槽の水位問題から異常気象を学んでいる。10年ほど前までは(正確には、当自然計画をさかのぼれば分かるが)満杯が常で、たまに下がっても40㎝以上下がることはなかった。近年は、それ以上に下がることが、次第に多くなっている。
こうした時に、いつも自然の摂理に対する畏敬の念を改めさせられる。つまり、人為的な環境破壊を慎まないと、いずれ大きなしっぺ返し(自然の調整作用)に泣かされかねない、との不安だ。このたびのアオサギの飛来にしても、この飛来を促した環境変化を読み解けた、と言えるまでになりたい。
こうしたココロの準備は、1994年の大騒ぎでも補強した。1993年の日照不足と冷夏がもたらした大騒ぎのこと。日本では米が凶作になり、翌年にかけてタイ米などで大騒ぎした。実は、今年もエゾヤマツツジが珍しく2月下旬に花盛りになり、妻に「今日は何の日か、ご存知ですか」と問いただされ、ドキッとしている。おかげで、父の命日であったことに思い至り、22年目にしてやっと心に刻み込めた。と同時に、アイトワの2025年問題、つまり30数年来2025年を日本が破綻する頃と見込んできた問題、についてその想いを新たにしている。
新コロナウイルスも心配だが
アフリカでのバッタの大発生が、もっと心配
共に、これは自然現象
真摯に立ち向かおう
私たちは、似たことをしてきたのだから
放射能に、国境線を素通りさせてきた
グローバル化で、お金にも国境線を素通りさせてきた
にもかかわらず、コロナウイルスに怯え、権力で国境線の閉め合いを競っている
大丈夫かな
バッタさえまともにコントロールもブロックも出来ないのに
権力の活かしようを、間違っているのではないか
その権力で、やる気になればできることがある
それは、国境線などお構いなしの放射能や温暖化の、根を断つこと
せめて炭酸ガスや放射能に、国境線を守らせよう
それよりも、国際協力でその根を断とう
その方が大事だし、簡単だ
パラダイムさえ転換できれば
今なら、まだ間に合う
サワガニの小道は、1m余の切り立った土手沿いにあるが、この土手でハナタバコが育つ。ちょうど今、芽吹いている。
この土手の上部一帯はワラビ畑だし、いずれフキも茂りそうだ。そして、この小径を過ぎたあたりにワサビが生えており、これを機に茂らせたい。
ビオト-プの水路沿いの土手はゼンマイ畑だし、タラの木もある。さらに、土手の上にはヤマグリの木と、土手の先にはユズの木が育っている。
ビオトープ沿いの小径は、風除室沿いだが、そこにシラユキゲシが茂りはじめた。その花は、これから季節に入る。
近年の「栗ご飯」は、クリをこの水路や小径で拾って炊いて来たし、「ゆず風呂」はこのユズを用いる。このユズの剪定など整枝を、このたびやっと済ませたが、とても難儀した。実生の木で、棘がスゴイ。年々剪定の難度を増すものだから、この剪定も歳時記の1つに数えたくなったほど。
実は、このユズの葉はサル好みと見える。真冬に毎年、サルが風除室の屋根伝いにやってきて、上手にちぎり取ってむしゃくしゃと食べる。なぜか、このサルの襲来を、いつも妻が先に気付き、ひとしきり食べさせてしまい、私に叱られる。
目を、泉から南に転ずれば、暗渠の上に配した排水溝が走る。その山側はコゴミ畑。そこにはハランやホウの木が生えているし、ヤマウドも採れる。ハランは、お節料理のお重詰め時に、ホウの葉はホウバ味噌の賞味時に、アイトワの歳時記には共に欠かせない。
このコゴミ畑の、さらに山側にはツバキの木が生えており、その根元でミョウガが生える。いずれシュクコンソバの畑や、ミツバ畑も、と目論んでおり、2~3年で茂らせたい。ノビルですら、15年ほどかかったが庭の随所で自生するようになった。
平均寿命で言えば、妻は私亡きあと15年ほど余命がある。そのころには、この一帯に茂る山野草などを重宝しているに違いない。その時にはキット、妻は毎日のように「サワガニの小径」をうろつく季節を迎えことになる。「今に見ておれ」
千野さんとの語らいのセイかオカゲか、当月記を1から記し直すことになった。月初に「アイトワらしい一カ月に」と願ったセイか、あるいは日々を自然体で活かそうと心に決めたオカゲか、記し直したくなった。
ツバキが盛りで、網田さんのツバキも咲いた。網田さんに見てもらいたいが、コロナウイルスが気になって…。
庭を巡り、五島列島から届いたツバキから確かめた。
自生のヤブツバキは数えられないほどある。実生ゆえに、毎年自然交配した種を結び、花の大きさや、色合いはさまざま多様にする可能性を秘めている。ウイルスはモットスゴイ! 20分に1回そのチャンスがあり、願わぬ多様性も生じさせかねない。このことを連想しておきたいものだ。
その気になって日々を振り返り、見直しながら、「なかなか、やるじゃない。(82歳が迫る)お爺さん」と自画自賛となった。
この歳となってしまい、これも中長期計画! と思わざるを得なくなったンだなあ、と思うことがあった。その昔は、中長期と言えば30年ほど、長期と言えば100年だった。だが、何かが大きく変わっていたようだ。年を経るごとに巨視観を抱けるようになりながら、我ごとになると、5年が中長期に感じられるようになった。その5年計画の新規作業に3つ、このたび取り組んだ。そして、これらも加齢対策の一環と捉え直し、他に幾つかの加齢対策も、となった。
まず、5年計画のツツジの苗木植え。実は、テラスでの豪雨対策の工事が求められ、その排水パイプをむき出しで走らせることになった。そのパイプを、これまでは植木鉢で隠してきたが、このたび、刈り込みやすくて常緑のツツジで、5年ほどかけて成長を期待し(恒常化を)、と考えた次第。もちろん、刈り込み作業は刈り込み残る。
2つ目の5年計画は、ローズマリーの手入れ。実は2年かけて、木立性のローズマリーの苗木を育てた。だから3年後の姿を期待して、それを中型排水桝に植えつけた。
この桝には土留めの役割を与えているが、先に植えてあったローズマリーは抜き去った。そして、その姉妹が育つ井戸枠花壇に移動させ、これで「恒常化」できた。その「記念に」と、あるメニューを思い付き、珍しくも妻に注文。それは舌平目のムニエル。
これら2つの5年計画は加齢対策でもある。「ならば!」と、「アイトワらしい一カ月に」と、次々と加齢対策にも手を広げた。その最初は、もう1つの井戸枠花壇、そして2つの大型排水桝花壇の恒常化。実はこのもう1つの井戸枠花壇は、3年がかりで、「これで完成」の域に達していたつもりだった。
ところが、なんだかものたりなさが感じるようになった。そこで、1株の色違いの自然生えクリスマスローズを掘り起こし、植え足した。それは濃色。これで納得。あとは時々追肥さえすれば、年毎に自然体の美を増しそうだ。シカが侵入しても、クリスマスローズはお好みではなさそうだから、ヒヤシンスも見逃してくれそうだ。このヒヤシンス、こうした自生化した姿が、私の好み。
来客用パーキングの土留めにと大型排水桝を花壇として活かしてきた。この恒常化のやり直しにも取り組んだ。それはシカが入り始めたせいもある。実は、幾つかの桝が、いつしか半日陰になってしまった。そこで、3つの桝を2~3年前から、半日陰でも育つギボウシで仕立て直し、完成の域に達していた。だが、シカが食べて全滅させた。半日陰のセイで、再生しにくい。
やむなく、1つは、自然生えのクリスマスローズで再度仕立て直し、もう1つは、イジを張って、ギボウシで復活させて、シカよけ策を、と考えた次第。
かくして、アイトワのコンクリート製の花壇は、手作りの1つを除き、恒常化の手を打てたことになる。残るは、訳あって新婚旅行ができなかった私たち夫婦が手作りした花壇。新婚休暇記念にとの創作物の1つ。セイヨウサクラソウと球根性野草の1種が自生するが、パンジーやスノーボールは自生化しない。さてどうするか、思案し始めた。
月末に、未来さんとフィアンセの宇治川和樹さんを迎え、3つ目の5年計画に取り組んだ。それは、若いカップルに鉢植えの1本を、地植えにしてもらったこと。5年ほどで形を成しそう、と見ている。この1本、妻は河津さくらというが、私は? いずれ2人が調べてくれることだろう。これから毎夜、シカ対策が大変だ。
この記念すべき日の前に、知友から2つ、そして妻からの1つ、計3つの楽しいエピソードが届けられた。1つは、29日の「真間川サクラ満開に雪」の知らせ。
2つ目は翌日のコロナがらみの体験で、風評被害とホッとする動きがあった知らせ。
そして最後は、カレイのムニエル。通院の帰途、妻は舌平目を探したが、残念ながらカレイしかなく、ローズマリーで賞味。舌平目の楽しみは先送り。
晴れの日はそれなりに、雨の日もそれなりに、と自然体で過ごした1カ月だが、ミニ外出が3度と、予期せぬ知らせや多々来訪者にも恵まれた。
予期せぬことの始まりは1日の知らせ。メキシコからの写真と手紙。このご夫妻は、昨年の、藤の花が咲いていた頃の来店客。その後2度、足を運んでもらえ、妻の人形をメキシコまで連れて帰って下さった。その時に藤の種を所望されたので、後日送り届けた。その礼状に「今年も日本へ」との嬉しい予定が添えられていた。
おかげで、今年は、藤の徒長枝の切り取り(9日)で、いつもより心が弾んだ。また、後日(20日)、藤の実を好天がすべてはじけさせ、大きな音を立てて種を飛ばせたが、小さなドラマになった。テラスに居合わせた祐斎夫妻が、四方八方に飛ぶ種を拾い集め、「ウチの庭で…」と持ち帰ってもらえた。また、テラス席で喫茶中の外国からの女性客が、大きな音をいぶかし気に感じていたが、疑問を解き、ニッコリしてもらえた。
ミニ外出の最初は、お隣の常寂光寺を2度訪ねたこと。この2度目の訪問時に、同じく町内の寺院・正覚寺の副住職と合流しており、その折に新著をもらった。多くの企業経営者に読んでもらいたい一著。その心は「足るを知る」と見た。
次は来訪。「月曜日は…」との在宅の問い合わせ電話があり、堀井先生一家が「京都に行くついでに」と立ち寄っていただけた。先回家族でお見えの時に、自由参加も可、との事情を知って、応援団人形をつくり、届けて下さった。
その肝心のキッズオリンピック。案内状までできていたのに、オリンピックが怪しげになった。そこで、日程をずらして開催することにした、という。当然、私は賛成し、マジックインクでのお手伝いをした。今後のことだが、2カ月ほどしてから、「幻のオリンピック」との副題を添えるべく、ヒントを授けたく思っている。
来店客の中に、思わぬ助言(?!?)をして下さる方があった。向かいの悪徳商法がなくなってみると、これまでは意義があったボッタクリ注意の看板が「逆に…」「誤解を」と気づかされ、「なるほど」。撤去した。
これも「予期せぬこと」だった。シカがチューリップの芽を喰い荒しながら、側の自然生えの野菜には一斉手を出していなかったことだ。結果、菜花と歯抜けチューリプのミニ花壇になり、妻は来店客と話題の1つにしている。
次の予期せぬことは、「北大生の息子が…」との電話が瞳さんからあって、ご主人と一緒に愛息・創一朗君を伴って訪ねてもらえたこと。マスク、手の消毒用エタノール、そしてトイレットペイパーに加え、「これ、便利ですよ」と夫の義信さんがお試し中の品などを添えて下さった。
実は、私は北大ファン。とりわけクラーク先生の「Boys! Be Gentle.」のファン。その気風に惹かれ、北海道出張の度に時間を作り、立ち寄ってきた。いつも農学部の実験農園を散策し、時にはアイヌ展に出くわし、長居したこともある。おかげで、創一朗君に「僕も、その学食で…」と話が合い、歳の離れはむりだが、気はグンと近付けた。
妻から「あの方、ホレッ」と内線があり、急ぎ喫茶店に駈けつけて、挨拶できた人たちがある。「事務所の仲間と、恒例のハイキングで」と、福山和人さんが立ち寄ってくださった。このたびの市長選で初めて知った人だけど、つい手を、いつもの癖で差し出し、握手してもらった。他の皆さんも握手に応じてくださった。ある動物を真似て見せた子どもがいたが、残念ながら、その動物の名を聞いておきながら、失念した。
ヒョッコリ来訪が続き、「十兵衛、連れてきた」との祐斎夫妻。紀州犬の臭いは「シカ避けになる」と聞かされて、頼んであった。十兵衛は置き土産も。
ミニ外出の2度目は、自転車での歯科医通い。犬歯の治療が始まった。この犬歯、既に差し歯になっているが、その作り替え。部分入れ歯をとめる支柱の1本故に、疎かには出来ない。とりわけ私は「胃瘻」を容認していない。自分の口から食べ物を摂取する可能性がなくなれば、私は死ぬべき時がきたのだと覚悟することにしている。もちろん希望。
「2年ぶりかなあ」「もう3年になる」と旧交を温めたのはベティスミスの大島社長。家族ハイキングで「前を通りかかり、もしや」と覗いてもらえた次第。ジーンズが取り持つ縁だけに、意気が合う。「息子が、この春から北大に」と聞かされて、「考創です」と自己紹介され「なんと!」と思った。当月2人目の北大生で、共にその名に「創」がついていたのだから、嬉しくなった。
そして、千野さんのヒョッコリへと続いた。15日来晴天が続き、雨は27日までなしと見込めたので、ハクモクレンの花びら掃除の最中だった。それだけによきインターバルになった。おかげで翌26日は終日、不自由な脚ながら庭仕事に没頭できたし、そして久しぶりの雨の日を迎えることになった。
だから妻を映画に誘った。東洋の成果・栄誉と見る『パラサイト』鑑賞の日にした。これが当月最後のミニ外出。雨の中を徒歩とJRで往復した。
マスクをした人は半数に満たない。映画館はがら空きで、『パラサイト』でさえ15%の入り。色々な意味で出かけてヨカッタ。前日の庭仕事でのカラダの疲れを十分に癒やしながら、ココロを元気溌剌で満たさせたのだから。
1995年のアメリカ取材時を思い出した。アメリカは「中間層消滅という大問題を抱えている」と聞かされ、拙著『「想い」を売る会社』に収録した。その人は後に米大統領戦に立候補した。わが国ではまだ「一億総中流」意識が支配していた。この四半世紀前の予測が、すでに韓国でも現実になっていたことも知った。
根本をただす時だ
文明がパラサイトだと気付くこと
文明はパラサイトのシステム
半歩譲っても、パラサイトの運動会、競い合い
だから地球はドンドン痩せ、汚れてゆく
これを発展との錯覚に、振り回されないために
あたふたした人生から、己を解くために
パラダイムの転換を急ぎたい
この1カ月で学んだこと
文明はパラサイト
この1カ月で願ったこと
パラダイムの転換が急がれる
今ならまだ、間に合う
こうした間に、3人の佛大生を迎えたが、雨で、歓談の日になった。雨が上がった翌日からスモモの剪定に手を付けており、その合間に旧玄関周りの除草もした。
次の雨は、瞳さん一家を迎えた翌14日のことで、妻は工房に、私は書斎へと別れた。雨が上がった日曜日に、4人の佛大生が石畳道の防草土舗装を完成させた。だが4人は夢中になりすぎた(?!?)のか、記念のサインを刻み込むことを忘れていた。
出来栄えは期待をはるかに超えており、3年ほど(?)前の先輩が並べた石畳の、なんともいえない有機的な柔らかさを、見事に映えさせたように思う。
私はその後、学生が残した防草土を活かし、2か所の防草土舗装をしたところの補修作業に当たり、幾つもの部分補修を済ませた。
16日は薄氷で明け、1夜の霜で傷んだハクモクレンを、妻は嘆いた。
第1次のエンドウマメは無事だったが、レースカーテン地の中で、花が咲き始めていた。これではハチなどが媒介に携われない、と心配。第2次のエンドウマメは、霜に強そうだが、支柱を求めてツルが苦悶していた。第4次のエンドウマメの苗がシッカリ芽生えていたので、第3次の続きに植えるなど世話をした。
今年最初の夏野菜用の畝は、17日に5カ所で冬野菜の花芽を摘むなど順々に始末し、それぞれ短い畝だが、右ひざが痛む私に代わって知範さん次々と耕してもらった。その間の私は、妻の要望に沿うかの如く、畑の随所にあったプラスチック製品が目に留まらないように整理もした。知範さんを見送った後で、耕してもらった畝の2つを、2種のジャガイモを植え付けたくて、畝に仕立て直した。
この夜に、鬼の攪乱が始まっている。翌日は終日ベッドで過ごし、19日にやっと始動。翌日の昼になって、6食ぶりに食欲がでた。夕食は随分控え、翌朝食もホットケーキで、と妻は抑えさせた。おかげで体調は旧に復した。体重2kg減。あれはなんだったのか。ちなみに、この白和えに、自生の三つ葉がシーズンインしたことを教え来れた。
快晴の翌日、2組のヒョッコリ来訪者を迎えたが、その時は既に1kgリバウンドしており、ここで止めなくては、と心に言い聞かせている。フジの実がバチン、パチンと大きな音を立ててはじけ、すべての種を飛ばしてしまった日のことだ。
この後で、今度は妻が、温室での作業中に躓いて、転んだ。翌土曜日に救急病院でミニ骨折と分かったが、不注意な妻に「バカモン」とまではいわずに済んだ。鬼の攪乱でチョット気が抜けていたのだろう。おかげで、誤解を免れた。
この日から私は、ニラ畑の除草を手始めに、庭仕事に猛烈に励み直したが、ウッカリして、防獣フェンスの扉を閉め忘れようだ。シカに、ニラ畑にあったニンニクと、新果樹園のビワの木を酷い目に遭わされてしまった。
好天続きをいいことに、広縁の2つの水槽の水替えにも当たった。しかし、こんなことを「いつまで続けられるのだろうか」と思ってい。
アケビ棚の手入れには難儀したが、やっと片づけた。これで、異花受粉が望まれるアケビの棚をもう1つ昨年設けていたが、元気な芽が出始めており、「間に合った」と胸をなでおろした。
次いで、遅ればせながらスモモの剪定に着手。4日に分けて取り組み、650本余の枝や小枝を切り取った。
この間に、スモモが蕾を膨らませ始めてしまい、剪定クズをテラスのオブジェに活かしたくなった。初めての試みだが、散りかけた紅梅に代えた。案の定、小さな白い花だけでは生えない。これも初めての試みだが、トサミズキを初めて剪定し、その剪定クズを添えた。
その後、唯一のモモの木を先月切り取ったが、その一部を残していたので、花が散ったスモモと差し換えた。このオブジェは2度と望めない。
ツメキリソウ、イチゴノキ、そしてユスリハの3種の挿し芽や挿し木にも取り組んだ。この2種の挿し木は初めての試みで、1本でも発芽すれば儲けもの、と思っている。
赤いロッコウサクラソウの5つの鉢を来年用に作り、4鉢のトウテイランと10鉢のオリヅルランの土を替えなど、4種の鉢植えの手入れをした。オリヅルランの鉢は、夏になれば、紫のロッコウサクラソウの鉢に代えてデビューする。その手前で、チマサンチェの苗がスクスクと育っている。
母が残したフロックスの鉢は、長年放置していたので弱っていた、そこで、植物の再生力に期待して、土だけでなく鉢も替えた。
最後の庭仕事は懸案の補修作業だった。野小屋の天窓部には不具合があり、雨漏りの補修を2度ほどしたが、完璧ではなかった。そこで、私流に「これで!」と思われる補修を試みたが、仕上げるには至らなかった。部品がたりず、完成は翌月に持ち越し。
この冬は、ベンケイソウに、花を咲かせたくならせたようだ。普段は無性芽を沢山つけてクローン繁殖するのだが、遺伝子を交換したくなる何かがあったのかもしれない。
その何かが関係した、とは思わないが、「まさか」と思うことが続いた。まずユーティリティーの屋根で、その変則の形状部分に手を付けざるをえなくなった。ここだけ苔が茂るが、その苔がシロハラに、30年来初めて、餌場として目を付けられた。1度ならず補修したが、諦めてくれない。ミミズでも探すのだろうか。
やむなく、生き残っていた苔を張り直し、掃除をしたが、妻は「どうして」といぶかしがる。苔などはやさなくても、と思うのだろうが「そうはゆかない」。
アイトワの時空では、心身を豊かにする生き方の源泉に「自然の摂理」を見出している。これまでの与えられた使命、たとえば新設子会社の運営や、短大の立て直しなどでも、この摂理に沿って運営したが、成果を円滑に収められた。こうした組織を活性化する秘訣を、時々伝授するように求められるが、その教材の1つとしても有用だ。
人間も自然の一部なのに、パラサイトシステムのごとき工業文明では、むしろ不自然が功を奏するような錯覚をさせてきた。その挙句が、今日の地球環境の惨状である。皆で乗り合わせている地球を食いつぶしながら、繁栄だと錯覚してきた。
その限界、破たんに早く気付き、パラダイムをいかに早く転換するか。覚醒が求められる課題を抱えているわけだが、この屋根で生じた自然現象にも1つの有意義なヒントが(妻にもまだ分からないだろうが)隠されている。
自分たちの生活で出す有機物ぐらいは自分の手で、と心に決めて生きてきたが、「まさか」と最初に思わせられたことは予期せぬ植物の力だった。下水道は、夫婦の屎尿(庭で還元)、第3者の屎尿、生活雑排水、そして余分の雨水の4つに分別しているが、その1つで毎年のごとく問題が起こる。それは第3者の屎尿パイプでの根詰まり問題。だからその掃除道具の常備が求められる。2年に一度は新調してきた。
文明は、パラサイトシステムであるがゆえに、始末に負えないことをさせたり、考えたりさせがちだ。ある時は、ゴミの排出量を繁栄のバロメーターと錯覚させた。循環の尊さを忘れさせ、生態系や食物連鎖を意識せずに日々を過ごさせがちにさせる。だから、自分たちの排せつ物や、自分たちの死を、遠ざけがちにさせる。共に循環の一環だとの認識しておかなければいかないことだ。
久しぶりにカラスヘビを見かけた。去年孵化した「青大将の子」の生き残りだろう。何年か前から、庭の幾カ所かでヘビが好みそうな茂みを用意するようになった。旧玄関前の茂みにある落ち葉の山が、どうやらヘビが繁殖の温床にしているらしい。その親かもしれないが、奇妙なところで脱皮した跡をみつけた、母屋の樋だった。
こうした「蛇好みの茂みや孵化場」を好みに沿って充実すれば、往年のように、妻が腰を抜かしそうな2m近い青大将が棲める庭になるかも、と思っている。その姿に近づいている証拠に、このたびは気付かされたのかもしれない。
妻が嫁いできたころは、この庭での食物連鎖の頂点に、青大将が立っていた。その後、裏地に不法建築家屋が出来、山水の水路が切られ、激変した。だから、庭内のミニ宇宙化がより一層望まれるようになったが、その努力が招かれざる野生動物も呼ぶ。
という意味もあって、知範さんの協力を得て自動感知撮影器を庭に設置し、チェックした。そのかいがあった。招かねざる猫やイタチ、シカやアナグマだけでなく、未確認の中型動物が夜間に庭をうろついていることが分かった。
「ボツボツなんとかしてください」と妻が言い始めた植物がある。畑で茂り始めたナズナ、七草粥に入れるペンペングサのことだ。ここまで復元するのに随分の苦労を要した。野草もいったん壊滅させると復元は容易でない。ほぼ10年がかりになったナズナの畑地での復元だが、なんとか蛇好みの茂みで自生させたい、と2年前から願っている。まだ茂みで自生するまでの自力がついていないようだ。この春から妻の協力もえて、これ以上種を落しては困る畑でのナズナを抜き、蛇好みの茂みに捨て、自生させたい。
セイヨウサクラソウとホウキグサは、栽培不要になった。ホウキグサはまだ、自然生え(鉢植え植物の根元などで発芽)の若芽を、ポット仕立てにして苗づくりが必要だが、その手間が不要になったセイヨウサクラソウは随所で、ニホンサクラソウも一カ所だが、定着しそうになっている。
月末の2日間は、晴れの日にふさわしい日々になった。30日はまず知範さんに案内され、貸してもらえるという農地を見に行った。幸いなことに、貸主と行き合わせた。翌日は、カップルを午後から迎えており、記念植樹をしてもらえたわけで、良き1カ月のしめくくりになった。