61年来初めて水道水を。西日本に大災害をもたらした豪雨は、わが家の一帯では7月2日の予兆のごとき大雨から始まった。.翌日は、一旦上がったが、再び5日の朝から降り始め、9日まで6日間も激しい雨が降り続いた。もちろんわが家もテンヤワンヤ。自動排水ポンプは断続的に動き通し。エンジン式ポンプの始動テストを済ませ、自然排水装置の点検で庭に飛び出すなど。
だが、問題はむしろその後の8月15日まで続いた37日間のカラカラ天気。土中水分がすっかりなくなると、鉢植え植物への水やりよりも厄介なことになる、と知った。だが、まだこの時点では心にゆとりがあった。「こうした時のために」と、これまでに取り組んで来た庭づくりの成果に期待を寄せていたのだ。現に、16日に雨が降り出したときはニンマリしており、「辛抱させた甲斐があった」と喜んでいる。まだ水道水の散布などしていない。
実は、こうした乾燥に耐えさせるために、常日頃から草木に根を土中深く伸ばさせ、丈夫にさせる工夫を凝らしてきたからだ。だがそれが、このたびは仇になりそうになった。16日の雨は土の表面を湿らす程度で終わり、再びカラカラ天気が始まったからだ。
もちろん、ナスビを主に液肥まきを適度に行っていた。キュウリ、カボチャ、あるいはトウガンが水枯れに弱いことや、逆にゴーヤやツルムラサキは強いこと。あるいは「さすがはアフリカ原産だけあって、トマトやモロヘイヤはめっぽう強いなぁ」などと学習もした。
「これはイカン」と思い、水道水を畑にまいたのは17日の夕刻で、60年来初めてのこと。正確に言えば、水道を引いた1962年来初めて飲料水を直に畑にまいたわけだ。
わが家では1986年に、居宅のトイレを水洗式にしたが、この汚水は大きなタンクに溜めて自然発酵させ、液肥と呼び、庭にまいてきた。だが、水道水を直に畑にまくことはなかった。もっとも、温室や、喫茶店のテラスでは時にはまくが、そこでも原則は、淡水魚が棲む水槽に張って汚れた水を鉢植え植物の水やりに用いている。だから、わが家の水道料金は、喫茶店があるのに、娘が水シャンする家庭過程で済ませてきた。こうした方式では到底間に合わないことがこのたび生じた。
やむなく、第1次のトマトや第2次のキュウリの畝はあきらめ、抜き去って冬野菜用の畝に仕立て直そうとした。だが、妻に断固反対された。スーパーに連れていかれ(事実は、ついて行って)、トマトを主に野菜の高騰ぶりを目の当たりにしたが、ひるまずに妻と相談した。畑に案内し、妻が朝に収穫する時に見る目とは異なる目で、第1次トマトの畝を点検させた。つまり、この先どれほどの収穫が期待できるのかを想像させたわけ。妻も、花は咲けども、受粉しなかったがごとくに実を結んでいなかったことに気付いた。やっと抜き去る許可を出させ、例年なら、ピクルス用未成熟トマトがこの<a>5倍ほどは採れるところだ、と結果を見て得心させている。
そのようなわけで、迫りくる台風20号に私は期待。実は、私は小学生時代に体験したジエーン台風で、台風嫌いのトラウマにされたが、このたびは初めて台風に期待した。願わくば1晩かけて、数百㎜の雨を降らせてほしい、と願った。これが23日の夜10時5分現在の私の心境。
妻は明るい間に、雨戸などの戸締りをすべて済ませていた。私は、エンジン式揚水機の始動テストなどを済ませたし、これから庭に出て、温室やサンクンガーデンの台風バージョンを再確認するなど最後の点検をする。その上で、妻と交代して台風襲来の雨に期待を寄せる夜番に当たろう。
24日(金)8時25分に無事、朝食を終えた。4時間ほど前に、妻と「ひと眠りしよう」といって、揃って床に入った。半時間前に起き出して、畑の点検に出た。そして「たいした風の被害はなかったが、雨量も期待はずれだった」と戻ってきて妻に報告している。なんとかこれから、再び水道水を直に畑にまかざるを得ないようなことが生じないことを願うばかりだ。