7/27の夜明け、液肥をまきながら「一雨ほしいナ」と思いました。朝食時にTVで奇妙な台風の予報に触れ、食後は「秋まで延期」とのある約束ごとの順延の電話。この約束の日の前日に、初めてお泊まりの来客予定であったので助かりました。その後、月末までの5日間は多彩な日々に。それが呼び水かのごとく、印象深い1カ月余になりました。問題はカンカン照りの猛暑です。
台風は、観測史上初の逆走台風。上旬に生じた西日本豪雨災害の被災地の人々には追い打ちとなり、気の毒でした。だがわが家は、期待した雨に恵まれず、ガッカリ。日照りはその後も続き、庭はカラカラ。61年来初めて水道水を直に畑にまきました。夜は連日の熱帯夜。室内温度は朝になっても28度。日中は連日、冷房機のある書斎に避難。かつて体験したことがない日々になったのです。
多彩な5日間とは、初宿泊の来客と3人でカシの生け垣を剪定。初めて育てる白ナスにこの夏最後の支柱立て。友だち連れのゆかりさんを迎え、歓談。第九の日本初演奏をTVで観て、得心。月末に、桑原恭祐さんを迎え、初仕事に感心。その途中で乙佳さんと親方の親切に感謝、など。昼間は『小さな抵抗』の著者に脱帽。この間に2つの残念な報道に触れました。まず西日本豪雨災害の最中に、首相ほか議員漣中が赤坂自民亭ではしゃいでいたこと。2つ目はオウム事件の残る6人の死刑執行。
8月に入り、初仕事に、ある石仕事の仕上げを選び、得心。次に、台湾旅行で知りえた高安医師を迎え、ある返答に感激。実は10月に、ある海外旅行を画しましたが「連れて行ってください」との返答。その後、歯医者を訪れ、初の部分入れ歯を依頼。里衣さんを迎え、晩餐。四半世紀来恒例の経営者夫妻を夏の挨拶で迎え、交歓。リズさんの泊りがけの里帰りを兼ね、次著の打ち合わせで感激、など。7日の火曜日は妻と、汚水管の掃除。庭仕事はもっぱら朝飯前と夕刻を当て、2回の海外出張で生じたブランクをほぼ埋めました。日照りのオカゲで、野草が芽吹かないのです。かくして8日に傘寿。人生2度目の「8四つ並び」。次は初の「8五つ並び」を無事に迎えたく願いました。
9日は、改めて恭祐さんを迎え、口頭試問と炎天下での体力測定のごとき1日に。私はハッスルし過ぎて翌日から3日もバテ気味で、水鉢の模様替えや草刈りなどで過ごしました。妻はブルーベリー摘みに励み、その後8/23の6回目までに計12.2kgを収穫。順次ジャムに煮ました。
その後、一著の件で喜田さんとリズさんを迎え、最終打ち合わせ。亥辰舎の浅井さんを迎え、編集の相談。次いで、妻の墓掃除に久しぶりに付き合い、棚経の僧侶を迎えました。そして15日。『国体』を一読し、今上天皇と首相の戦没者追悼に傾注。庭仕事はもっぱら朝飯前と夕刻で、夏野菜最初の支柱(インゲンマメとキュウリの畝)を解体し、腐葉土小屋を整備。そして2日に1度は液肥やり。妻は恒例の地蔵盆のお供えを作り、ミヤコワスレの手入れなど。
来客は、かつて顧問関係にあったトップの立ち寄りに始まり、ベトナム旅行で一緒した仲間、国際問題で時々迎える放談相手、そして恭祐さんに友人・下村さんを伴って訪ねてもらえた。おかげでこの自然計画を記し始めています。後藤さんには事情があって相当期間、頼めなくなり、それまでは止める覚悟をしていたのです。嬉しい知らせはNZから2つ。残念なことは、サルに昼間のスキを突かれて、阿部ファミリーに種をもらった巨大ピーナッツをすべて抜き去られてしまったこと。
かくして下旬を迎え、佛教大生の来訪。太陽光発電機の(売電価格の変更に伴うバッテリーの)切り替え。心臓の定期検診。歯医者での部分入れ歯の型取り。畑では、冬野菜用の畝に腐葉土をタップリ鋤き込む日々。これが前半のトピックス。後半は、台風を当てにして畝作りを急ぎ、23日の夜に台風20号を(妻と交代で夜番をしながら)迎え、翌朝は8時に起床。慈雨に感謝しながら津の吉の吉田さんを迎え、田中一村展に連れて行ってもらいました。その後、岡田さんを迎え、「私も」とある海外旅行に参加をご希望。さらに2度にわたって若者(下村・桑原)チームを自然計画の継続に関して迎えたのです。庭仕事は、ブロッコリーとセロリから冬野菜の準備に入りました。
以下、写真入り部分詳述
桑原恭祐さんとの出会いは、天の助け、だろう。2度目の出会いは力仕事<a>に終わらず、創造活動に。その最中に乙佳さんから電話。私が土を求めていたことをご存知だった親方が「庭の山土を掘って届けようと言っていますが、いかが」との問い合わせ。この親切に感謝。恭祐さんと望ましき受け入れ準備をして待ち<b>、4人で歓談。この土を得たことで、かねてから取り組んでいた石仕事<c>を8月の初仕事に選び、椅子<d>を設けて仕上げとし、ここでの読書を加齢時の楽しみにした。残った土<e>には雨に流されないようにして、これから大事に活かす。
8四つ並びの(1938年8月8日生まれ80歳の)日は、徳島生まれの母から聴かされていた酷暑の誕生日を思い出しながら、感謝や得心など。私には思いつかない、あるいは手作りできないクーリングディバイス<f>などの贈物に感謝。午前のお茶は、冷水出し緑茶と和菓子。午後は紅茶にあうケーキなど。夜は録画映像<g>を見て「あり得たのだ」と得心。それまでは母から、第九の日本初演奏をドイツ人捕虜の肩に腰かけて聴いたと聞かされて「まさか」と思っていた。加えて、80―20に感謝。かろうじて自分の歯が20本残っている。
桑原さんを当てにした初仕事は力仕事だったが、その礼のメールに触れて「やはり」と思った。この時に「天の助け」ではないかと思い、対話と体力測定のごとき日を設けた。対話は、人生観のようになり、これが(後日のことだが)もう1人の青年・下村さんとの縁をつくり、自然計画の継続を具体化させる話に結び付いて行く。体力測定のごとき作業とは、炎天下での風通しが悪い土手<h>の手入れ<i>であり、妻に「きれいになりました」と褒められたが、私はヘトヘトに(なっています)。
喜田さんとリズさん<j>を迎え、次著は「共著者のごとし」との思いを伝え、劉穎さんと共に名前を載せさせてもらうことになった。14日は棚経の(両親の同じ朝食<k>をとる)日だったが、仏前で「リズさんが来てくれたよ」と両親に報告<l>。妻は3度目のブルーベリーを摘み(初摘みは7/24の2.55kg<m>)、その後45年来恒例の畑の作物で地蔵盆のお供え<n>作りにひと苦労。その曲がったキュウリを眺めながら、私は初成りキュウリを種用に残しておいてヨカッタ<o>、と思った。
顧問関係にあったトップ<p>に「京都に来てます」と知らせてもらえた。ベトナム旅行で一緒した仲間が約束通りに来訪<q>し、殺人剣を活人剣に昇華させた江戸文化、グライダーで上昇気流に乗り7000mまで昇った経験、庭にいる昆虫、あるいは免疫療法などについて喧々諤々。翌朝のメールは庭の虫の写真<r><s>(アミダテントウとツヤマルシラホシカメムシ?)が飛び交うところとなった。NZから2つの嬉しい知らせ。メールでの海詩の来訪予定と、Rayさんは手紙に楽しい写真(中央は前首相)<t><u>。
この度の佛教大生の来訪はリーダーが1人。まるで末娘か、初孫と一緒に勤しむかのように、防腐剤の活かし方<v>、妻を交えた昼食、落ち葉かきや焚き火、そして恒例の賞味<w>を楽しんだ。随分対話の時間にも恵まれ、その堅実な世の中の捉え方に共感。共感と言えば、熊本出身の吉田さんと(九州旅行をした際に)田中一村の足跡を訪ねてことを思い出しながら一村展<x>に出掛け、複雑な心境に。その後、朽木まで足を延ばし、昼食や温泉も楽しんだ。
カラカラの大地に、台風20号は恵みの雨になった。この雨を見越して畝を仕立て直して<y>おいたわけで、慈雨に大いなる感謝。「一村展と朽木の1日」はこの慈雨に感謝しながら出かけたが、帰宅後、雨で太ったイチジクの実を<z>収穫。さらに1日を待ち、雨で馴染んだ畝に初の冬野菜の苗(ブロッコリーとセロリ)を植え付けた。妻は、友人にもらった苗で初めて白ナスを育てたが「一雨で大きく太った<a'>」と喜びながら初収穫し、岡田さんと私の昼食のソバに添える天ぷら<b'>に活かした。