時代の移り変わり!?! 仕上げ作業が後日回しになったのを幸いに、私はその仕上げの日を「2人のミニメモリアルデー」に、と考えた。かくして10日後の17日を迎え、9枚の切り石を並べたミニ石畳道をセメントで固め、完成の域にたどり着かせることにした。その上で、2人の若者にその石畳道の最も望ましい位置を選んで、メモリアルとしてふさわしい文字を相談して決め、望み通りに刻み込んではどうか、と提案した。
このメモリアルサインの点検は、2人を見送った後のことにしたが、私は心地よき驚きと感動をおぼえながら眺めた。2人は、ファミリーネームを割愛し、ファーストネームのみを掘り込んでいた<a>。フト私は考えた。私の世代が、この2人の若者と同様の機会を得ていたら、つまり半世紀前に、同じ機会を与えられたら、どうしていたか、と考えたわけだ。私の思い至る限り内の話だが、きっとファミリーネームを主に、たとえば私なら「T.MORI」と刻み込んでいたに違いない。ファミリーネームか、ファーストネームか。この差異が、私にはとても気になった。
もちろん当時でも、ファーストネームだけを掘り込む人もいたことだろう。その比率はキット女性が上回っていたはずだ。そういえば、と考えた。江戸時代ともなれば、ファミリーネームのない人が大勢いたことになる。ついにこのようなことまで考え始めた。
ヴィンチ村のレオナルドではないが、江戸時代の百姓などのようにファーストネームがなかった場合と、明治新政府によってファーストネームを持つことを許され人たちの場合。いずれは嫁いでファミリーネームが変りかねない女性の場合。それぞれの間には、とても大きな意識の差があった、あるいはあるに違いない。
1960年代後半から私は欧米に出掛け始めたが、彼我の差異にいろいろと驚かされている。その1つは、欧米の企業では、いかつい社長と若き秘書が「ラリー」とか「ベス」などとファーストネームで呼び合っていたことだ。
今や私も、海詩やリズさん、あるいは実生や慧桃くんなど余念のない人には「孝之さん」と呼んでもらえるし、ドンさんは「タカ」と呼ぶ。それが、とても嬉しい。そういう私も、かつててトッテンさんと私は、「私たちこそ、ビル、タカと呼びあう仲なのに」と語り合いながら、いまだに「モリさん」「トッテンさん」と呼び合っている。
ファミリーネームか、ファーストネームか。いずれの意識が、平和や平安を保たせやすくなるのか。いずれの意識が、自己責任能力や自己完結能力を育みやすいのか。あるいは、いずれの意識が、忍耐の限界を広く柔軟にさせるのか。こうしたことに想いを巡らせ始めてしまい、なぜか穏やかな気分になった。