9月1日、強い雨と妻の一言に急かされ、冬野菜の種を妻に買いに走ってもらい、私はメールで後藤さんと自然計画の引き継ぎの相談。その後、広縁の川魚の水槽でトノサマガエルを見つけ、妻に教えました。覗き込んだ彼女は「ご飯、食べてる?」と呼びかけ、私は自省の念に駆られたのです。2日は好天、桑原・下村両君が庭で協働する日。古川先生一行の来宅が重なりテンヤワンヤ。3日は現役最高齢者の英語公式ガイドを迎えました。
この間に、畑ではナバナの他6種の種をまき、プチヴェールの苗を植え、トウガンにハンモックかけ。初めて育てた白ナスを不気味な虫が襲い、つぶすとカメムシの臭い。トウガラシも襲われており、異常高温のセイ?と不安に。温室では、ハクサイの他4種のポット苗の準備。囲炉裏場では、焚火の灰を袋詰め。野小屋では、解体した竹の支柱の整備と収納。そして台風対策を済ませ、夜は町内の集会に参加。かくして4日。
台風21号が京都直撃。恐怖の3時間。この間に2つの講演の準備を、と思いながら気もそぞろ。台風一過後、妻と荒れた公道の落ち枝掃除だけ済ませ、後は翌日に回し、早めに就寝。翌朝、恐る恐る被害の点検。庭は荒れていましたが畑は想定内。家屋はほぼ被害なし。この日、桑原さん、次いで岡田さん、下村さんと迎えた日。桑原さんと落ち枝掃除と焚き火の最中に岡田さんを迎え、紹介。下村さんは岡田さんを見送った後で、若者2人と自然計画のリニューアル版最終調整。翌日は入れ歯の点検と囲炉裏場の整理。そして7日からあるゼミ活動の支援と歴史探訪で群馬出張。こうして上旬を過ごしました。
中旬は、後藤さんの緊急来訪と第1次冬野菜の点検(9/11)で始まり、20日は入れ歯の再調整で終わりましたが、この間にトピックスが2つ。まず杏奈さんを3泊4日で迎え、彼女の母親と祖母が迎えがてらの来訪。2つ目は、17日に没後80年の映画監督・中山貞夫を偲ぶ会に出席。この他に天音チャンと再会、知人を伴ったミツバチの師匠が見え、巣箱の点検とメントールの設置。そして若者2人が揃って再訪し、後藤さんを交えた旧自然計画サイトを引き継いだ後、ミニ石畳道を完成させた、など多彩でした。
この間の庭仕事は、梅雨のような日が続いてはかどらず、雨の合間にナスの切り返し、第2次トマトの支柱解体、その跡の仕立て直し、そしてネギの苗植え、と細切れ作業。雨は17日にあがり、翌日は台風で荒れた庭の掃除と焚き火に着手。サルに襲われたカボチャのコーナーを整理、など。妻は、穂が出掛けたイネ科植物の駆除などで奮闘。そして19日に原因不明の左足の不自由。翌日は、午前はほうほうのていで歯科医で3度目の入れ歯の調整。夕刻は整形外科医で左足の治療。この合間はもっぱら2つ目の公演の準備。
かくして下旬。妻に付き添われた大阪での講演に始まり、台風24号騒ぎで終わりましたが、この間も多彩でした。24日は若者2人が終日の庭仕事。翌日、海詩が母子3代4人で3泊4日の到着。27日からHKの倉田さんが4泊5日で来訪。共に27日の17人が集ったBBQの準備と参加と後片付け。28日は競馬を教わった高橋夫妻を迎え、翌日はアメリカから3泊4日の皆川さんが友人連れで来訪、の予定でした。それが、台風に乱されテンテコマイ。よきことは志賀さんの再訪。つらかったことは24日の肝をつぶしかけた私は事故です。
庭仕事は、海詩は無煙炭化器の灰掃除や腐葉土小屋でトランポリンなど。ドンさんは溜まり溜まった玉切り割り、雨の中での樋掃除、そして屋根掃除など、共に大活躍。みかさんは母と奥嵯峨めぐりの合間に冬野菜の苗をポット仕立て。私は、冬野菜の世話の他、妻と通常を取り戻す動き。そして2人は嬉しい来訪者との歓談で1月を締めくくりました。
~経過詳細説明~
2人の若者・桑原恭祐・下村知範(ともき)両君に、当月は4度も訪ねてもらった。その最初が、庭で初めて協働した2日(日)<a>。畑の入り口部を整備する課題を説明し、使ってよい切り石と道具を提供、後は任せた<b>。その最中に、来訪予定が1日ずれた古川先生一行が到着。妻が人形ギャラリーの案内などでアテンド。私たち3人は昼食後のお茶の時間に合流<c>。とても豊かな話題が次々と飛びだし、双方に喜んでもらえたはず!?!の2時間余。というわけで、若者2人の作業は石の設置だけで終わったが、それがヨカッタ。妻も「ありあわせの石で、流石ねぇ」と感心<d><e>。
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2人は10日後に仕上げた<f><g>が、私は感激。時代の移り変わり!?!も実感<h>し、2人の呼び方をファーストネームに変えることにした。
そして最後の来訪となった昼食時(9/24)、私は肝をつぶした。アルミパイプ製の小さな折り畳み椅子から立ち上がろうとした時のこと。尻ポケットの植木バサミが椅子の背を引っ掛け、足がふらつき一緒に倒れた。そのとき、左手の中指を折り畳み椅子の足の間にはさんでいた。アワヤ!というところで咄嗟に横に倒れ、指の肉を壊死させる圧迫だけで済んだ。もちろん激痛。だが、原因が分かる痛さに私は強い。実はこの2人、月末も佛教大生に合流して初の協働予定だった。だが台風到来でおジャンに。
3日、伴さんの紹介で当月最高齢の現役英語ガイド89歳<i>を迎えた。元気な“人生の先輩”と出会えると「あと10年は私にもやれそう」との元気をもらう。この日、ブルーベリー畑のネットの中であがく生き物を見つけ、コジュケイを救出<j>。10日、当月最初の母娘3代が来訪。ちあき、朋香、当月最年少の天音(あまね)チャン9カ月。「ウンチはオマルで」とのこと。妻は「歯はまだ3本なのに、こんなに上手に食べられるのよ」<k>と私に語り掛け、歯が20本になったと嘆く私を励ましたつもり。
だから私は、天音チャンと同じころに誕生した冬青(そよご)君も「オマルを使っているかな」と思いを切り替えた。夜は、「翌日は89歳の誕生日」と都城の徳重文子さんに電話。元気な声。当月は他に、2組の母娘3代の来訪と高齢者との接触に恵まれた。
今年もケムシ退治は、妻のスモモでの奮闘<l>から始まった。結局、昨年同様スモモをマルボウズにされ、必死で新芽を吹き<m>、生きながらえている。来年も同じことが生じたら、殺虫剤を用いようと思う。畑では、まず夏野菜終盤の手入れ。トウガンにハンモックかけ<n>、ナスの切り返し、あるいは白ナスを襲った不気味な虫の退治など。この虫はトウガラシでも見つかり、退治しようとすると散らばり<o>、ポトリと落ちる。そこで一工夫、この3倍ほどをやっつけた<p>。さらに、チョウセンアサガオ<q>でも見つけ、退治。
次いで冬野菜の準備。妻に「アイトワ菜が自然生えし始め」た、と聞かされ、種床まき、直まき、そしてポット仕立て、と3種の手を打った(9/3)。加えて妻が友人からもらったプチヴェールの苗<r>を初めて植えた。その上で、台風21号対策。
岡田さんは、四国は松山の出で、講演内容の打ち合わせ時に「御荘(みしょう)みかん」<s>をくださった。昨年は茨城の「福来(ふくれ)ミカン」を知るなど、わが国の多彩な柑橘類にバンザイ。加えて、当月2つ目の講演機会<t>を作って下さったことに感謝。これは自然計画を引き継ぐ恭祐・知範両君に、庭仕事の意義やその過程で「庭宇宙」が気付かせた必然の未来「第4時代」を理解してもらう上でとてもありがたい。この2人はその後も、自然計画リニューアル版最終調整、あるいは庭仕事<u>で、と来訪が4度になったわけ。その折に、ゴーヤやトウガンをお土産にすると、妻子のある知範さんはわが家と異なる調理を考え<v><w>、メールで教えてもらった。
杏奈さんを迎え(9/13)、久しぶりのおじいちゃん気分。彼女は、わが家で書生をした伸幸さんの娘だが、裁縫に専念し<x>、願いを遂げた。やや緊張して迎えた妻だが、すっかりお祖母ちゃん気分。杏奈さんを迎えがてらに京都を訪れた母親・さちよさんは、妻への土産に福来ミカンのクリーム<y>も添えて下さった。これは、滅多にモノを欲しがらない妻が秘かに所望した代物。この間に、ミツバチの師匠が巣箱の点検で来訪<z>し、ダニ防除のメントールを設置。それが嫌われたのか、ミツバチに逃げられた。そこで、志賀さんは9/28に再訪。折よく高橋夫妻がみえていたので、ハチが逃げ出した巣箱の掃除<a'>を見学の上、蜜が溢れそうな健康な巣<b'>とスムシの被害が出た巣<c'>を比較、あるいは巣蜜の美味を一緒に味った。そしてわが家のガマガエル<d'>を観ていただき、妻がなでなでした上<e'>で逃がした。その後4人で、郊外地の問題や苦悩に思いを馳せた。日本の生態系に精通した。ご意見故に感銘。この間に、3組目の母娘3代・海詩一行が到着、お爺ちゃん気分に。
中山貞夫監督の没後80年と知り、傘寿の私は何かの縁を感じて偲ぶ会<f'>に出かけた。監督の没年は、私が生まれた年。どのような時代であったのか、も興味津々。10日ほど前に群馬で、当時の文物をタップリ見聞きしていただけにヨカッタ。景山夫妻に誘ってもらえた<g'>のだが、3本しか残っていない遺作の1本を鑑賞し、顕彰碑<h'>も知った。それよりも何よりも、人が人を偲ぶ心の尊さを学べてヨカッタ。北海道から駆けつけた人、『雲切仁左衛門』(私は滅多にTVドラマを見ないのになぜかのファン)のシナリオライターにも会えた。丁度この間に、わが家では、招かれザル(猿)客・サルにカボチャのコーナー<i'>を襲われ、さんざんな目に遭っていた<j'>ことになる。妻は、イノシシの母子に遭遇。シカが交尾期に入った叫び声を張り上げる。
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27日のBBQは、予期せぬ幸運も手伝って賑やかになった<k'>。幾つかの願いを込めた集いだったが、湯豆腐で始まり<l'>、気仙沼のサンマも食べて<m'>、20時終了予定が23時まで<n'>ワイワイガヤガヤ。願いの1つは、巨大企業の社長任期を無事に終えた村尾さんと久しぶりに会いたくなった。そこで、村尾さんの紹介者・山本さんと、村尾さんと取引関係があるトッテンさんの4人<o'>が夫婦連れで、と決まった。次いで、次著の翻訳者に参加を依頼。残念ながら、リズさんと喜田さんは参加できなかったが、劉穎さんはTVドラマ『大地の子』と同期生。山本さんは『大地の子』の製作者。さらに、劉穎さん引率の中国旅行仲間・高安先生と岡田さんの来宅時に声をかけ、応じてもらった。そこで、日本に里帰り中の海詩一家と倉田さん<p'>のわが家での逗留日を調整し、準備と参加と後片付けを依頼。この人たちは山本夫妻と私たち夫婦がNZとHKで世話になった人たち。「ならば」と言った具合で17人が集う<q'><r'>ことになった。義妹は裏方として大活躍。
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そんなこんなで滞りなく賑わったが、その後、当月最後の逗留予定は皆川さんとその友人<s'>を迎え、賑わいの締めくくり。2人はハリケーンでNY出発が遅れ、東京で友人の足の故障で1日遅れ、台風24号に急き立てられて1日早く東京へ。結局3泊4日の予定が、1泊2日の「食い逃げネ」<t'>といって去った。