緊張して迎えた。ついに杏奈さんに、一人で「アイトワに行きたい」といってもらえた。これが皮切りかのごとくになり、多彩な来訪者に恵まれる一月となったように思う。
妻は、杏奈さんと一緒にクッキングに当たり、散歩にも連れ出し、竹のトンネルを見せもした。私は久保田さんに誘われたのを幸いに、美術講演会に連れ出し、オルターナティブという言葉を覚えてもらう機会に活かした。だが、迎える前に、妻は一度とても緊張している。、
アイトワに行きたい、と願った杏奈さんに、希望を聴くと、滞在中に「ジャケットを仕上げたい」と言った。そうと知って妻の心配と緊張がはじまった。
それは洋裁に精通する人の心配や緊張と私は見てとった。だから「杏奈さんは利口な子だ。自分に出来そうもないことは希望しないし、君の助けがあれば可能と見込んでいるに違いない」と安堵させた。
迎え入れ、早速妻は人形工房で誘い、その希望を聞いたようだ。そしてすぐに妻は安堵した。「案の定」4日の間に仕上げが可能な夢を杏奈さんは描いていた。2人はつかず離れず終始行動を共にし、妻も私以上に、すぐに孫娘のように楽しげに遇し始めた。それに刺激され、私は「アンナ」と呼ぶことにした。
根気よく、アンナの裁縫が始まった<a>。器用だし、覚えが早い、と妻はなぜか自慢する。キッチンも2人で立ち、私はお爺ちゃんよろしく、料理を待つ。
仕上がる見通しがたった2日目に、久保田さんから電話があり、ありがたいお誘いだった。久保田さんは、岡田さんと同様に、アイトワの喫茶店が開店した当時からの常連で、息子の「ユメチャン」はまだお母さんのお腹の中にいた<b>。マンション住まいゆえに、わが家の犬を愛犬代わりに散歩に連れ出してもらう仲になり、私も比較的早くから知り合っている。今や夢人さんは世界を飛び回る社会人だが、里返りすると父と息子に連れだって訪ねてもらえる。
誘われた催しは「ピカソと女性達」という演題で、ベルギー王立美術館公認解説者のお話だった。「しめた」と私は思った。久保田さんを見送った後、さっそくアンナに私が知るピカソの話をした。
学生時代に2単位の油絵の時間があったが、その時間の山田先生はピカソ来日時に京都でアテンドした。それを好機と見た私は、ピカソへの質問を託した。それはともかく、その回答を聴かされた時に、その得心より以上に得心したことがあった。
桂離宮で、2人は砂利道を散策した。その所々でピカソはしゃがみ込んだという。あまりにも素早く、話しながらの出来事故に、山田先生は気にも留めなかった。
後刻、「新一」と、先生にピカソは呼びかけながらポケットをまさぐった。そして先生の前で、その手を広げると、掌から幾つかの小石が現れた。そして「これはウシ」などと1つ1つに説明を加えたという。このエピソードをアンナに伝えた。
私がアンナとたいして変わらない年頃の思い出だ。当時の私がすっかり失っていた感覚を、はるかに年長者のピカソは保ち続けていた。そういえば、と幼き頃の思い出をふりかえった。天井のシミが、怖いものに見えて、おもわず布団で顔を覆い、縮こまったことがあった。ピカソは、その感覚を保ち続けていた。
そのピカソが、女性から「ケモノ」とか「人食い人種」とののしられる一面も備えていた。それもヒントになったのか、私は後年、人間の2面性に興味を持ち始めている。そしてついに、処女作『ビブギオールカラー』では1頁を割いて脳の断面図を載せるに至っている。そして、ヒトの2面性に気付き、丁寧に取り組めば、ファッションビジネスは赤子の手をひねるように読み解け始める、と言わんばかりの文章を添えた。
この2面性を、利口なアンナにキチンと教えるのがお爺ちゃんの役目、と心得て私は迎えていた。だからアンナに「ピカソと女性達」というミニ講演に誘った。そして、オルターナティブという言葉を覚えてもらうキッカケにしよう、と思った。
ピカソは11人の女性のカラダとココロをグチャグチャにしてこの世を去った。中にはピカソの名声に、あるいは財産に惹かれ、カラダを餌にココロを釣ろうとして、逆にココロまでもてあそばれたに違いない。それもピカソの真実だろう。中には、ピカソのもう1つのココロに惹かれ、カラダとココロをグチャグチャにされた人もいただろう。
ちなみに、この催しを開いた森耕治さんは、苦学と幸運によってベルギー王立美術館公認解説者になった。その関係で、ベルギー王室の人が来日時、天皇晩さん会に呼ばれている。その時に、服装を一式整えるだけで、森耕治さんにすれば莫大な経費を要したという。そういえば、マザーテレサは、ノーベル賞授賞式に、いつもの服装で出た、誰間が得心し、感心したことを思い出した。
こんなことはどうでもよい。お爺ちゃんとしては、アンナにアンナ流の幸せを手に入れさせたい。その秘訣は、と考えて、オルターナティブという言葉を覚えさせたかった。要は私も私なりに、アンナを緊張して迎えたわけだ。
おりしもその後のアメリカで、最高裁判事候補が性的暴行疑惑で躓いた。即座に私は妻に、これは矢野暢の二の舞だ、と口走っている。さてどう収めるか。どこやらの首相とウマがあうトランプのことだ、ほとんどの人にウソつきと見られながら、平気の平左で押し通そうとするのかもしれない。
だからと言って、私はこの最高裁判事候補を、決してどこやらの首相と同列には見ない。矢野暢と同様にヒトとして同情し、人としての失敗をそしりたい。人としてとても立派でありながら、ヒトであることを忘れていたことに同情したい。
その点をアメリカ女性も認めるだろうが、この人と人のはざまの失敗を、しかも今の権威をカサにごまかそうとする意識を、アメリカの女性も卑劣とみて許さないのではないか。素直にヒトの失敗を認め、人として詫びるべきであったと思う。
さて、オルターナティブ。この意味をしっかりアンナに説明したかった。「たとえば、アンナが誰かに恋をした時、出来ればなるだけ早く両親や私に相談してほしい。その時に、両親や私は、きっとオルターナティブの話をするだろう」と言ったようなことを伝えようとしたかったわけだ。
アンナのジャケットが出来上がった<c>。そのためにアンナが持参したイラストも見た<d>。よき選択だと思った。そこで、今日の日付と、アンナの名を刺繍しておくべきだと勧めた。なぜなら、生涯活かせそうに思えたからだ。このデザインは、生涯活かせる、とみた。
どのような場に招かれるかもしれない。その時に、もし困ったら、「このジャケットをはおればよい」と勧めた。そして「その刺繍を示し、エピソードにすればよい」
彼女の母親・さちよさんと祖母が、迎えがてらに京都旅行し、祐斎工房への案内をご所望。おかげで、祐斎さんに「その日は、川が鮎採りに最適の水量になり出迎えられない」と説明に来てもらえた<e>し、当日は「川の水が増え過ぎた」といって出迎えられた<f>。母子3代とは昼食<g>のあと見送った(9/16)。