『国体』を一読。今上天皇と現首相の戦没者に対する思いは対極である。この重要な一事が気になっていたので、フトこの一書をとりあげて、飛ばし読んだ。
なぜか、今上天皇の心を振り返った、戦時中に、軍は民間船をことごとく軍用船に徴用し、ろくな護衛戦もつけずに軍事物資の輸送に駆り立て、多くの国民を魚雷攻撃の犠牲にした。この青年たちに今上天皇は心を寄せ、残念の意をかつて言葉にされたが、この心は、国民の自由を願う心だろう。
片や現首相は、国民の「生命と財産」を守ると叫ぶが、決して国民の「自由」を守るとは言わない。現憲法の根幹の1つは、25条「生存権」がうたう国民の「自由」だ。にもかかわらず、首相は国民の自由を守るとは決して言わない。まるでヒツジ扱いだ。
ヒツジならその「生命と財産」を守るだけで済むだろうが、人の場合は「自由」を守ることこそ第一に挙げなくてはならない。その自由を守るに値する国民を育てるために教育がある。にもかかわらず、教育をゆがめ、国民をヒツジと牧童のごとき人に分断しかねない。それでは、国がアブナイ。
また、現首相は、310万の御霊の上に今の繁栄があるという。だが、その言葉は3000万とも言われるアジアの御霊を常に意識しないと、日本の孤立を深めかねない。国内にあっても、沖縄に強いた御霊にたいする心の払い要はむしろ残酷に過ぎる、そのありようは日本人を分断しかねない。
こうした孤立や分断が、選挙を有利にすると見てのことだろうが、ナサケナイ。この前の無法な解散にともなう総選挙でも、その結果を見て副総理は、北朝鮮のミサイル(の恐怖を囃し立てた)オカゲ論を公言したが、ア・キ・レ・タ
なぜこのような事態になるのか、白井聡の『国体』はヒント以上のものを提供している。