かねてから心惹かれて来た。「直観」を大切にしたい、と私は思っている。実は、直感に従って行動し、幼いころから「助かった」と思ったことが多々あったわけだ。だが、その後、痛く反省させられることも生じるようになった。だからいつしか、それはどうしてか、と考えるようになった。
そこで「やっとたどり着いた」と、その謎に近づけたように思った時と所がある。1960年代末頃のNYだ。若者のありようが刺激的なまでに変化をきたしていたころ、マンハタンにある大学までタクシーで駆けつけ、キャンパスをうろついた時のこと。
頃は秋だったと思う。芝の緑が濃かったし、Tシャツ姿ではなく、その時に初めてその名称を知った衣類「スウェットシャツ」を、多くの若者が着ていた。女学生とおぼしき女性は、だぶだぶのスウェットシャツを着ていながら、意気揚々としているように見えた。
この「意気揚々」と着ている、と見て取ったところに私の直感が関わっていたことになる。今にして思えば、ウーマンズリブ運動の走りだった。この印象を私は大事にして、スウェットシャツなるものに興味を示し、執拗なまでに掘り下げ始め。
このあたりから、目に見える現象より、その現象を生み出させる目に見えない何か、の方が気になるようになっている。
やがて私は、スウェットシャツを外着のごとく(とりわけ女性が恥じらいもなく、胸を張って)着用することは「ファッション」ではなく、「ムーブメント」(目には見えないが確かな動機)と見抜いている。なにせ「スウェット」とは「汗」のことだし、「スウェットシャツ」は大量の汗をかきそうな(アメラグなどの)ときに用いる男性専用の肌着であったのだから。
おかげで、若者の現象は、「ドレスルール(服飾の不文律)」の破壊活動を通して、社社会改革を希求していることに野気付き、その活動を始めさせた心情や歴史などを探り始め、やがて共感するようになる。そのようなわけで、「スウェットシャツ」と言えば「ジーンズ」と言いたくなるほどお似合いの衣料品に着目し、「ムーブメント」として検証を重ね、ジーンズは「ソフトな時代に誕生した最もハードな衣服」だが、「ハードな時代に最もソフトな衣服」としてよみがえりつつある、と視るにいたった。社会改革のシンボルであり、「スウェットシャツ」をジーズの相方のごとくに位置付けた。
そのようなわけで、先に触れた「吉岡忍のジーンズ」を記憶にとどめたわけだ。また、わが友のジーンズの捉え方(『デニムさん』という一著を産みだした)にとても大きな喜びを感じた。だから、その気持ちをジーンズ業界のキーパーソンに伝えたくなってしまった。やがて、その反応<a>が届けられた。