台風21号が京都直撃。実は、先の逆走台風で山のような庭木のクズが出たために、BBQパーティのための庭掃除が急がれた。その最中で、台風21号が京都直撃。テンヤワンヤに、私たち老夫婦にとってはちょっと過酷なことになった。
まずBBQの会場となる囲炉裏場では、無煙炭化器を取り払っておく必要があった。だから一旦は、溜まった灰を袋を詰めにして<a>空にした。並行して、畑の東西の小径も片づけ<b><c>、ここは暗くなるとトイレと結ぶ通路になる。次いで、夏野菜の竹の支柱を次々と解体した。その支柱は、土の中に打ち込んでいた間に弱った部分を切り取り、ナタで先をとがらし<d>て、乾いている間に5カ所に分けて用途別に収納<e><f><g>した。
台風21号到来当日(9/4)、妻は喫茶や人形工房の受け入れ準備(風で落とされかねない鉢の移動など)を整え、居宅や母屋の雨戸を閉め回った。その間に私は、庭中の鉢植え植物の移動、「恵方屋台」のガラスのランタンの収納、温室の戸締り、そして庭に立ててあった脚立を倒して回るなど、庭周りの整備を受け持った。
なにせ私は小学生時代にジェーン台風を体験し、台風トラウマに。棲み処づくりや、家屋まわりでさまざまな工夫を凝らしてきたが、この度もそれなりの成果をみたように思う。避雷針の役目をと願い、背の高いスギの木を育てているが、大風にあおられて舞うがごとくに揺れたが、折れずに済んだ。
恐怖の3時間後、大風が夕刻に収まったのを幸いに、まず公道を点検。足の踏み場もないほどの落ち枝が散らかっており片づけたが、モミジの片並木には手痛い損傷はなかった。その他の点検は翌日に回し、バタンキュー。翌朝、秒速39.4mの強風だったことを知ったうえで、庭の点検に出た。
庭は公道同様に荒れていた<h><i>。だが畑は想定内<j><k>だし、家屋はほぼ無事だった。畑では、冬野菜の若芽が傷つけられ<l>、ゴーヤやツルムラサキなどの支柱が倒れた程度。つくづく、温室で別途苗を育てておいてヨカッタ<m>と思った。
家屋は、観たところ問題なし。ただし、細かな落ち枝などが一杯屋根にたまっていた。
冬野菜の不作を心配しながら、夏野菜の支柱の立て直しに取り組み、手間取った。今年は夏野菜が日照り続きで不作だったが、冬野菜も心配だ。夏野菜の不作は、ゴーヤ、ツルムラサキ、そしてモロヘイヤでしのいだが、冬野菜でこれらに替わる作物は思い当たらないだけに心配だ。
第1次冬野菜の準備は、群馬から帰宅後に点検したが、梅雨のごとき雨とコオロギの大量発生で散々の状態になっていた。急いで歯抜けのところに追いまきをしたが、この度の台風とさらなる雨で台無しにされた。
それにしても、冬野菜の種を、直まきだけでなく、例年とは異なり、ポット苗を温室で沢山育てておくために割いたのがヨカッタと思った。
夕刻にTVで、渡月橋の欄干の倒壊を知った。翌朝の妻の散歩で亀山公園の惨状を、夕刻の町内の集会に出かけた折に、近隣の民家の屋根に大被害を受けた家や、杉の大木の根越し倒壊などを見た。さらに瞳さんのメールで滋賀県の被害も相当なものと知り、わが家の被害が覚悟以下で済んだことをありがたく思った。しかし、その後のTVの特集で、今後はスーパー台風の到来が予測されることなどを知り、再び台風トラウマのわが身を引き締めるところとなった。
気を引き締め直し、再びBBQの準備にとりかかった。まず、やたらはびこっていた自然生えのオオバやチュウゴクホウカなどを残していたので、大胆に抜き去った。ここはBBQパーティ時にはトイレに通う小径になる。その上で、囲炉裏場では、周辺に溜まっていた木くずを燃やして燠を作り<n>、海詩一行の到来に備えた。
次の日から、連日のごとく晴れ間は庭に出て、落ち枝の整理などを始めた。いったん片づけてあった囲炉裏場は、公道で出た落ち枝やヒノキ林の近辺で出た分を持ち込むと、また山のごとしになった<p>。かくして海詩一行を迎えた。
BBQ当日、予報通りに雨は上がっていた。やおら、囲炉裏場に出て、ブルーシートをはぎ、焚火をはじめ、ドンさんとBBQ用の椅子などを運び込み始めた。かつて海詩が座った小さな赤い折り畳み椅子も持ち込み、海詩を迎えた<q>。
ほどなくイモが焼き上がり、BBQの準備と後片付けチームが集合<r><s>し、夕刻を待った。ここで庭は一旦、片付いていたが、すでに私は一旦ヘトヘト。