売電価格の変更。民主党菅政権は、太陽光発電機がつくる電気の買取り価格を48円にして、原発の総体的価値を下げ、自然エネルギーへのシフトを鮮明にした。だが自民党現政権は逆に、原発再稼働を強引に推進し始めただけでなく、太陽光電気の買い取り価格を11円に下げるだけでなく、いずれは買い取らなくなりそうだとの印象を振りまいている。
これは、ライフラインという和製英語が示すように、エネルギーという必需品をテコに活かして国民の首根っこを押さえ、国民の分断を図ろうとしているかのように見える。
たとえば福島では、未だに仮設住宅住まいの人が沢山いる。それが救済策だとはいえ、生きる術を失わせ、もはや元の生活を取り戻せない人にしている。逆に、生きる術を自ら求めて独自の動きをした人は、救済面では実に冷たくあしらっている。
この事故は、内部からも未然に防げた事故だったと認める人を出しているが、東電の社員は、国の手厚い庇護の下にボーナスの恩恵を受け続けている。多くの人たちの生きる基盤をつぶしたわけだが、責任者を追求し、糾弾する心構えは国はにはない。
これが、原子力村の恩恵を受けうるグループと、地球環境保全グループを分断する構造であれば希望を抱ける。つまり、皆で乗り合わせている船ともいうべき地球を守ろうとする人と、その船の上で得をすることだけを考える人を分断する構造であれば、話しが分かり易く、一縷の望みをつなぎ得るのだが、そうはなっていない。
この人災は、原発推進派だったメルケル首相を動かし、ドイツは脱原発を決めた。台湾や韓国もその方向だが、日本はお先真っ暗である原発の現実を広く国民に伝えておらず、原発依存症者のような国民を増やそうとしている。このやり方は、太平洋戦争での国民の誘導策とそっくりだ。
国民に講話や早期敗北などの意識の転換を許さず、必勝(原発では安全神話)で思考を停止させ、ズルズルと行くところまで行かざるを得ない状況に追い込んでいる。なんともツ・ラ・イ