準備。
その第1は、歯科医を予約通りに訪れ、部分入れ歯の点検を受けたことだ。とてもシャベリにくくて、舌を噛みかねないが、それは慣れるしかない、と知った。その帰途のこと。妻に「噛み合わせをカステラで確かめますか」とオチョクラレタ。「まだ。カステラが残っていたの」と問い返して「馬鹿ね」との反応に接してピンとき次第。このおかげで、不思議な思い出まで振り返ることができた。それは、商社時代に始まり、その後の25年ほどの間に生じた不思議な体験だ。
幾人目かのセクレタリーは、同じビル内にあった商社専属歯科医のお嬢さんだったが、「役得」に始まり、「まさか」との疑問に終わったプチ事件だ。
当時、奥歯が次々と虫歯になり、金属冠で覆う治療を受けたが、その都度控室に招かれ「噛み合わせを確かめてください」と促された。控室にはカステラと紅茶が用意されていた。商社時代は、年に1度か2度、秘書はもとより部下全員を招いてBBQなどを楽しんだ。自ずと好物などプライバシーも晒してしまい、弱味を握られていたのだろう。
ある日、大笑いした時に、妻がその金属冠が18Kであったことに気づいた。3本にほどこされていた。その後、職場を神戸で得たり、顧問先が大阪であったりしたときに、3度ほど通う歯科医を変えた。だが、母(父が鏡の前で長居するのを嫌った)に、私は鏡を見ないように躾けられたので気づけなかったし、何ら歯科医の説明はなかったが、そのどこかで知らぬ間に、それら3本の金冠がなくなっていたことに後年になって気付いた。
私にとっては痛くもかゆくもない話だったが、いつどこで、なぜなくなったのか、の2点は今もってわからない。18Kであったことが原因なのか、治療の都合でゴミにされるものなのか、それさえも分からないし、確かめる気にもならず、今日に至った。
準備の第2は、2つの畑仕事だった。まず、チンゲンサイの苗を植え付けた。NZのみかさんがポット仕立てにした苗のうち、大きく育った分を選び出し、エンドウ豆用の畝として仕立ててあった畝の肩に植えつけた。チンゲンサイの収穫が半ば終わった頃が、がエンドウ豆の苗を植える時期だ。次いで、大量の腐葉土を運び出して来て、鶏糞や油かすなどと混ぜて、切り戻した秋ナスの根元を始めブロッコリーやセロリなどの畝に被せた。留守にする5日間は、野菜にとってはとても大事な成長期間だ。
第3は、同道する7人の仲間の内の、遠方から参加する2人に中継基地として活かしてもらい、それを口実に前祝いの気勢をあげたことだ。
この旅行は、劉穎さんに無理を言って実現したが、問題が1つあった。老人とはいえ私は男だ。「李下の下で冠を正す」ようなことをことしないのがご婦人に対するエチケットだろう。そこで、わが家で永い間にわたって書生をした茨城県の伸幸さんに電話を入れ、奥さんのさちよさんの同道を願った。とはいえ、家庭夫人2人と年取った男の3人では力不足と見た。そこでまた、何年ぶりかで四国の今治に電話を入れ、陽平さんに同道を願った次第。
陽平さんは、今は宮崎タオルの専務だが、20年ほど前に、二十歳のころに、わが家に泊まったことがある。その時に、妻は1本取られており、爾来「躾けのよい子」とお気に入りだ。というのは、陽平さんは来泊時に、台所仕事を手伝い、妻の愚痴を聞いた。妻がステンレスの流し台が汚れて困る、と愚痴ると、「汚したときに、すぐに洗えばよい」と「母に教えられた」と助言した。そのようなこともあって、数年前に今治を訪れる機会(帝人が開発したポりエステル繊維の完全リサイクル設備を見学した)が生じた時に思い出し、電話お入れて再会していた。