『小さな抵抗』。己の信念に従ったがために、満州に学徒兵として徴用された男が連日の懲罰やリンチに絶えざるを得なくなった。トイレでその時々の想いを綴った詩集『小さな抵抗』に心打たれた。いつの日にか、この度作った石の椅子に腰かけて読み直そう。
電柱のように土中に立てた丸太に、中国人を縛り付け、日本軍は次々と銃剣で突き殺す訓練を行ったが、この人はこれを忌避し、天皇に背く態度として酷い目にあった。この稀有な体験と、信念を貫いた心境に触れたくて読み進んだが、私には到底真似ができないこと、と思わざるを得なかった。
古山高麗雄の「自分だけの戒律」のように、己の人間性をかけて、民間人を殺さず、慰安婦をいたぶらないで通す、との誓いと実行も凄いが、『小さな抵抗』はもっと凄い。とうてい私には頑張れそうにないだけに、なぜか逆に、心が救われたような気持にされた。
要は、古山高麗雄の『白い田圃』をかつて読んだ時のことを思い出したわけだ。私には到底この真似は出来ないが、私にもできることがある。それは、そうした状況に追い込みかねない戦争に、断固反対することだと気付き、その決意を固めたことだ。おかげでその後、せめて私にも出来そうな日々の努力目標を見定め、守り通して見たくなっている。
それは戦争よりもはるかに有意義で合理的な未来の打開策を考え、その実現可能性を肌で確信し、示してみせることではないか。そう考えて、わが身を振り返り、初心を新たにしている。
いつしか私は、人間とは賢いケモノだと思うようになっている。これはファッションビジネスに携わっていた時の気づきだが、その想いが確信になった時にサラリーマンを辞めた。まるで赤子の手をひねるように儲かることに気付かされ、空恐ろしくなったわけだ。
その儲ける方程式を見つけたわけだが、同時にそれから離れる必要性に気付かされたわけだ。ケネディー大統領の顧問、アーサーシュレジンガーJrの格言にも大いに感化された。
その想いが誘った未来の姿を一著に記し、1つの賭けをしてみる気になった。それが、未来の方からほほ笑みかけてくる生き方とは何か、と考え実践することだった。もしこれが妥当な生き方なら、未来に夢を描きうる、と目の前が少し明るくなった。かつての私のような若者に、希望のお裾分けができそうと感じたわけだ。
おりしも国は逆に、消費社会をあおり、やがてバブルと呼ぶ(ことになる)架空の富を謳歌し始めていた。それが私を余計に急かせたのだと思う。
その目で今のわが国を振り返れば、最悪の道を突き進んでいる。「美しい日本を守ろう」などと叫びかけて国民を惑わし、悪しき方向に誘い、ウソで塗り固めながら我欲を成し遂げようとしている。今度はドイツ(三国同盟)の代わりにアメリカを当てにして、奈落の底を目指すがごとく動きを導している。
それを許しているのが日本の風土であり、国民だ。島国根性だろう。
本来ならば、世界に向かって範を示し、胸を張りうることができる時なのに、またできる民族なのに、逆行している。まるで太平洋戦争前夜のようだ。また、とりとめもないことを考え始めたが、この程度が私に出来る限界であり、小さな抵抗かもしれない。