2月初日、大園夫人(未来さんの母)の加勢を得た落ち葉掃除に始まり、28日は久しぶりの映画鑑賞で終わりました。その間に5つの特記事項に恵まれました。ある寄稿文が連載になり、おかげで人生のターニングポイントを特定できた。2つの面で当月記の様式を改めた。3つの加齢対策に取り組んだ。4つの石組みの目途が立った。そして5つのTV報道に考え込まされた、の5つです。他にも、ハッピー迷子事件。劉穎さんと瞳さんを迎えた6日がビックな1日になった。伴さんの来訪。妻の味噌づくり。生涯最後になりそうな法事。そして久しぶりに恭祐・知範両君揃っての加勢を得たなど、多彩でした。
先月末に新聞で知った「粘菌の知恵」に倣い、バランス感覚や骨の劣化を補い始めました。要は、重くて長い脚立を運ぶのがやや危険になり、「ならば」と思いついた加齢対策です。また、「この暖冬なのに」と、体温調整能力の退化に気付かされ、結婚記念日の贈物を生かす補い方を考えました。さらに、私たち2人の弱点(妻は脊椎。私は心臓)に配慮して古い一輪車を改造し、「逃げ切り族」世代の私から「団塊の世代」の妻(厳しい覚悟が必然になる)への1つの贈物もできました。いずれもAIロボット時代への備えのつもりです。
当月は1つの大失敗・ハッピー迷子事件を生じさせました。妻の犬の育て方は過保護ですから、ここらで一つ「どんなもんだい」とばかりに、妻にハッピーを見直させようと思い、鎖を解いたのです。要は、連日侵入するシカや得体の知れないケモノを撃退させようとしたところ、期待は裏切られ、行方不明に。しかも、この夜に限って畑の獣害フェンスの出入り口の1つを閉め忘れており「踏んだり蹴ったり」。辟易する夫婦喧嘩が延々と続いたのですが、12時間後に、偶然が重なり事なきを得ました。
庭仕事は順調です。初日の落ち葉掃除の後、新加齢対策方式で樹木の剪定や畑の支柱立てなどに当たり始めたわけです。また、劉穎さんと瞳さんを迎えた日(お見送り後)に、改造一輪車を初使用し、2つ目の石組みとなる酒宴の席を作り、より思い出深い一日にできました。これで、石畳道の舗装に要する4面の内、2面の縁取りの目途が立ちました。
その後、恒例のシダレウメの剪定。囲炉裏場にまたできた剪定クズの山を1日かけて整理。2重の意味で急かされ始めた畑の除草などを経て、17日に3人の佛教大生を迎えました。この日は天気予報が外れ、小刻みの雨間を活かす面白い1日なりました。薪の移動という力仕事の目途は立ちましたが、焼き芋はできませんでした。
大園夫人と佛教大生に次ぐ3番目の加勢人(びと)として、妻の助成を得ました。妻は久しぶりの庭仕事で、雨後の快晴を活かす(土は緩み、カラダはポカポカする)畑の除草と、山のごとき剪定クズの焼却に当たりました。次は20日の未来さんで、彼女は見事に3つ目の石組み作業を完成させました。5番目の加勢人は恭祐・知範両名揃っての久しぶりの来訪(25日)でした。2人は妻の2つの願いをかなえ、4つ目の石組み作業の目途を立てました。2つの妻の願いとは、初日の大きな洞を発見したモミジの切り取りと、門扉脇の白ヘビのようなパイプを隠すための下準備でした。2人はこの日、初めてエンジンソーと斧(おの)の使い方を心得ました。
最後の3日間も印象深い日々になりました。快晴の26日は朝一番から庭仕事に当たり、夕刻まで陽気を楽しみました。妻も午後から出て来て、裏庭の落ち葉掃除に当たり、見違えさせました。翌日は大型HCまで知範さんに連れて行ってもらいましたが、未来さんを誘っ(たが、母親孝行の機会に活かしている姿を見ることができ)てヨカッタ。そして雨で明けた最終日。知友の誘いに乗った久しぶりの映画観賞に、共に「夫婦連れだって」となり、さまざまな面の学び、を感じること大でした。
~経過詳細~
一日は、春には新緑で、秋にはモミジのトンネルとして沿道を彩った落ち葉(が生け垣沿いに積もっていたので、そ)の掃除に3人で朝から手を付けた。それがヨカッタ。
まず、門扉脇から手を付けたが、そこは向かいの詐欺商法(ボッタクリ嵐山で検索可)を目の当たりにする所だから、おのずと「眼種や笑技など」の変化を観察した。
その後、掃除はモミジの片並木の南端まで進んだが、そこではありがたい発見があった。太いモミジの根元に大きな洞を妻が発見し、「次に強風が吹けば倒れそう」「切り取ってください」と心配し始めた。
これもヨカッタ。近く来訪する恭祐・知樹両人の良き教材ができた。
午後は一人で樹木の剪定に取り組み、まずジューンベリーから手を付けた。
これもヨカッタ。2種の三脚脚立(中庭のスモモの剪定で使用中)を要したが、80mほど離れた4mほどの高台から運び下ろすことになったからだ。すぐにまた運び上げなくてもよいように、この高い脚立を要する作業はすべて済ませ、後はハシゴで天窓屋根に登り、屋根の上に張らせた枝を剪定すれば済むようにした。
ところが後日、天窓屋根に上ってみて、三脚脚立を要する枝を幾本か切り残していた分かり、これもヨカッタ。
先月末に朝日新聞で読んだ「粘菌 単細胞でも賢い」の記事を思い出し、痛く反省させられたからだ。これを機に、仕事の組み立て方を180度転換することにした。
これまでは、力に満ち溢れていたころに身に着けた取り組み方だった。それは、取り組みたい作業に次々と取り組み、その都度必要となる道具を移動させ(これも運動の1つと楽しんで)いた。ところが、非力になり、足元がおぼつかなくなったので、これからは、三脚脚立など重たくて大きな道具を要する作業は、道具の移動距離を(粘菌に倣って)最短にする仕事の段取りに改めることにした。その手始めとして、大きな三脚脚立を運び上げる前に、側にあるギョクシンボクやシナモンなど樹木の剪定と、畑ではスナップエンドウの支柱立てに活かした。
荷台がとれた古い一輪車を、
丈夫な木材を用いて幅が狭い荷台を手作りし、再生させた。
新しい方の一輪車はアルミとプラスチック製だから雨天に強く、いちいち収納せずに済む。だが2つの弱点がある。プラスチックの荷台は(衝撃に弱く)、石など固いものを乱暴には載せられない。また車体のアルミパイプは、鉄パイプと違って弱いから、あまり重い荷物を運べない。
そこで、鉄パイプ製の古い車体を生かし、重たい石や機械などを乱暴に載せて、運べるようにした次第。この再生は、他に2つの願いもかなえさせた。1つは、わが家には(重い植木鉢などを運ばねばならない)狭い通路がある。
2点目は、妻は団塊の世代(は逃げ切り族並みの介護保険など到底無理)であるだけでなく、脊椎の弱点が判明したので、1人になっても重い荷を楽に運ぶ新兵器と見る私流1つの贈物。
ハッピーが行方不明になった、と知ったのは起床時の5時過ぎだった。その後、妻の3度のお叱りに耐え、12時間後に2kmほど離れたところで無事再会。それから17時間後に、ハッピーは何食わぬ顔でこの姿。
好天の日は、妻も私に倣って、ハッピーの毛布を干すようになった。メデタシメデタシ。
さて、行方不明と知ってから11時間後の偶然が重なった状況を憶測したい。まず、保護してくださったご婦人が勤めから戻ると、おりよく門口でハッピーがウロついていた。そのお宅でもクロシバを飼っており、ハッピーは簡単に捕まった。この婦人のご帰還が遅れていたら、ハッピーはどこえ移動していたことか。
私は最寄りの駐在所に届けを出していたが、ご婦人は掛かり付けの獣医に相談された。「なんと」その獣医は、ハッピーを世話してくださった人だったし、そのご夫人は妻の人形教室の生徒さん。だからご夫人は妻に、「ハッピー元気にしていますか」と電話を下さった。ところがそれから、3度、4度と電話連絡を重ね合うことになる。それは、去勢したせいだろう。ハッピーはメスと見間違われ、確認に大変手間取った次第。
ともかく無事に連れ戻せた。
何食わぬ顔のハッピーの姿を陽気の下で見つめながら、私はドッグタグ(ワシントンの原爆展見学時に買い求めたもので、米兵の認識票)があったことを思い出した。
早速、探し出して来て、首輪に付けようとしたが、妻は「もっとよいのがある」と拒絶しながら、月末の今も出して来ていない。妻はその後も、次々と忙しげに立ち動いたからだろう。
乙佳さんの世話で(大豆、麹、そして塩の手配に相乗りして)味噌を仕込んだ。
何かの催しで「起き上がり拳」の絵付けに取組んだ(右は試作品)。
21日の創作休暇明け(喫茶店の再開)を控え、花壇の化粧直しなどさまざまな準備にも当たった。
また、喫茶店の取材対応にも追われていたし、人形教室も再開した。
これらの他に、父の27回忌もあった。もとより私は、母と相談の上で法事の簡素化を図ってきた。巡回忌の参加者は兄弟と父母の両家代表に絞った。
今や、姉は遠出が難しいカラダになった。弟は欠席の常連。父方の本家は絶えて久しく、母方の本家筋には「これが最後になりそう」と言って、訪ねてもらえた次第。
墓と仏壇への花は、父好みに合わせて妻は庭を巡って摘んでいた。
次ぎは7年後の母の27回忌だが、妻が関われたとすれば、花屋で買うはずだ。母は、なぜか買わないとケチンボ―と見る人だったから。
さて、ハッピーのその後。月末近くのこと。知樹さんに連れてもらったHCでの買い物のうち、最初に活用したのは花の苗・しめて900円分。ハッピーの情操教育にも役立ちそうなコンクリ花壇に、それなりに考えて植えこんだが、妻の総合評価は90点。自然生えのピンクのサクラソウを残したものだから「せっかくの色調(を考えて買ったはずの苗)が台なしね」と60点。「でも、サクラソウを抜き去らなかった心に30点加点」。
劉穎さんと瞳さんが揃って訪ねて下さった日は、4つのことが重なり、ビッグな1日になった。まず「その時間にお越しなら、アイトワの喫茶店で昼食を」とメールで勧めると、元よりお二人は昼をアイトワで済ませた上で、との予定であったとか。
劉穎さんは、瞳さんの紹介で知り合えた人だが、二人揃っての来訪はこれで2度目。妻は「その日は創作休暇(1/21から2/20の冬休み)に入っていますから、私が…」と楽し気に腕をなでた。
その後、知範さんと「月記」作業の日程調整をしたが、その日は「2時からなら多分…」と返事した。次いで前日になって未来さんから「明日は1時から(庭仕事に)…」と電話があり、事情を話す内に「中華粽(ちまき)づくりを習いたい」となった。
そして当日。残念ながら粽は、見本を3つ(未来さんの学習のために)造っただけで、蒸篭(せいろ)ごと振る舞うことになった。
よい竹の皮が昨年はとれず、一昨年の分を前夜から湯につけておいたが「臭いが気に入らない」と妻はいう。蒸篭の側に添えたアイトワ野菜のサラダには、今年初めて育て、初採りした2種のプチベールを活かせた。
この日は義妹が来る日であったから5人の女性を相手に賑やかな食事になった。
私は「イモ」のエピソードを取り上げたくなったが、既に2時近くになっており、知範さんが到着。ほどなく雨が上がり、日が射し始めたが、会話は弾み、
お二人は主婦なのに4時近くまで引き留めてしまった。そして、お見送りした後のことだ。
前日改造した一輪車を生かす一石二鳥のプランを思い付き、若い2人と取り組むことになった。未来さんと私がジューンベリーなどの剪定くずを囲炉裏場まで運んでいる間に、知樹さんに重たい石(ハッピーの別荘側に残っている最早私の力では手におえない石の中から8個)を運んでもらった上で、
2つ目の石組みとして西詰めのデザインを決めた。そこはシダレウメの真下だから、酒宴の席にする。
かくして、親水性舗装する石畳道の4面の縁取り(石畳道の両方の側面、東詰め、そして西詰め)のうち2面のデザインが決まった。既に出来上がっている切り石の南の側面と、酒宴の席にする西詰めが決まった。残りは、道沿い北側と、東詰の自然石の階段状の縁取りをいかに改装するかだ。
後日、まず西詰めの7つの座椅子にする石組みの仕上げ作業に1人で取り組んだ。次いで、快晴の日を選び3つ目の縁取り(北側の自然石)石組みの改装に没頭した。
既に未来さんが改装に手を付けていたが、
彼女のアイデア(石の配置)を生かし、彼女に「なるほど」と言わせる作業だった。「傷だらけの産業廃棄物の石も活かしよう」と気付いてもらいたいと願ってのことだ。
あいにくこの日から冷え込みが戻り、夜は凍結を避ける防寒カバーを被せた。
そして未来さんの来訪を待った。
期待通りに彼女は「なるほど」と喜んだ。そして、3割がた残してあったこの改装作業に没頭し、見事な石組みに仕上げて見せた。
その過程で、Iターンした鵜飼夫人に立ち寄ってもらえた。
その後、恭祐・知範両名が揃っての来訪時に、1つのテーマとして東詰め(4つ目の石組み)の改装に当たってもらった。この作業は陽気の下で行ったが、途中で次々と観光客にシダレウメを「間近に見せて欲しい」と要望された。
曇天の日は、剪定クズの山を整理しながら、
夕刻までダウン気味の体力回復に努め、翌朝から恒例のシダレウメの剪定に着手。剪定クズの「時間差生け花」(数か所に分けて生けて、長期にわたって開花を楽しみ)に活か(すことに)した。まず喫茶店の再開(2/21)に備え、屋内で開花を急がせる。
次いで、テラスの水鉢などで、満開期に花を目近で満喫できるようにする。
最後は日陰で、と工夫すれば、開花を順に2倍もの期間楽しめる。
この「時間差生け花」は私流「遊(完全な自由と創造を楽しむ)」の1つ。この時期は、ハコベやスズメノカタビラに始まり、ヒメオドリコソウやナズアへと、
日替わりのごとく野草が開花期に入る。また夏野菜の畝作りに手を付ける時期だから、2重の意味で畑の除草が急かされ、妻の助成を求め、今年は抜いた草を「新果樹園の果樹の寝元で置き肥にする」と教えた。
これを機に、妻は時間をやりくりし、掃除も始めた。
アイトワ菜(これは、ミブナとカブラの血が共に4分の1ほど)や、ホースラディッシュの最盛期だ。
学生を迎えた日は、人形教室再開の日だったが、妻の連絡ミスで(生徒さんの)参加者が少なく、昼食時に割り込み、2度目の蒸篭版中華粽を楽しませてもらえた。
しかも、獣医夫人がご参加だったので、ハッピーのお礼も言えた。学生は雨間を活かした薪の移動という力仕事の体験しかできなかったが、
石畳道の酒宴の席を初使用し、
雨が降り出すたびにゲストルームでお茶の時間や、薪ストーブの試し使い(錆防止の菜種油を飛ばす)などの異なる体験をして面白い1日してもらえた。だが、焼き芋は楽しめなかった。薪を運んでもらえたおかげで、翌日私は1人で積み上げた。
その後も、薪仕事は続いた。エンジンソーとオノ(斧)の使いついでに、溜まっていた玉切りを薪束にしたり、恭祐・知範両人が作った薪を束ねたりできた。
恭祐・知範両人は、エンジンソーとオノの初使用だったので、周りへの被害をなくす切り取り方を、ノコギリも活かして学習し、
薪割まで済ませた。次いで、赤土を野小屋のあたりから門扉わきまで運搬し、最後は石畳道東詰めの縁取りである石段の組み直しに当たってもらった。
運んでもらった赤土を活かし、翌日、妻が嫌うヘビのような白い蛇腹状のパイプを隠した。
石畳道東詰めの石段石の組み直しは、ありあわせの石を見事に組み合わせ、一輪車を通し易くした。
しかし、巡回路の入り口にしては何かが物足りない。思案した結果、一石二鳥の改善策を思いつき、両サイドの既存の石を掘り起こした。そして、ハッピーの別荘側にはまだ4つの大きな石が残っていたので、その2つを知範さんと運び込んだ。